仙台高等裁判所秋田支部 平成元年(ネ)94号 判決 1995年7月07日
《住所省略》
(亡吉川由太郎訴訟承継人)
控訴人 吉川功一
右訴訟代理人弁護士 二葉宏夫
同 竹田周平
同 金沢茂
同 渡辺義弘
同 小野允雄
同 三上雅通
同 中林裕雄
同 石岡隆司
同 横山慶一
同 山内滿
同 小田切達
《住所省略》
被控訴人 国
右代表者法務大臣 前田勲男
《住所省略》
被控訴人 青森県
右代表者知事 木村守男
《住所省略》
被控訴人 岩木町
右代表者町長 小寺勇
右被控訴人国、同青森県及び同岩木町指定代理人 布村重成
<ほか六名>
右被控訴人国指定代理人 岩城豊
<ほか一二名>
被控訴人国及び同青森県指定代理人 豊澤寿一
<ほか一名>
被控訴人岩木町指定代理人 田村藤作
<ほか一名>
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決中訴訟承継前の控訴人吉川由太郎に関する部分を取り消す。
2 被控訴人らは、連帯して、控訴人に対し、一五〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年八月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(請求の減縮)。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
当事者双方の主張は、左記のほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決七枚目裏末行「本件」から同八枚目表一行目末尾までを「訴訟承継前の控訴人吉川由太郎(以下「亡由太郎」という。)は、右(一)により死亡した吉川輝子の夫であるが、平成元年一〇月三一日死亡し、その相続人は控訴人である。」と改める。
二 同一〇枚目表五行目末尾の後に「なお、後記山腹崩壊地周辺は、本件土石流発生前、歩行するとふわふわする不安定な浮石状態であった。」を加える。
三 同一二枚目裏末行から同一三枚目表一行目にかけての「幼年期から」を削る。
四 同一四枚目表七行目「埋立用」の後に「及びスロープ造成用」を加え、一〇行目「、その使用量」を「たが、それ以外に山積みされた残土もあり、スキー場に搬入されたアップルロード残土の総量」と改める。
五 同一七枚目裏四行目と五行目の間に「オ 右各堰堤は、その設置位置、時期等に照らして、百沢スキー場を守るために設置された疑いがある。」を挿入する。
六 同一九枚目裏二行目「越流した」の後に「(流下、堆積した土砂量は青森県の設置した調査委員会の報告書の記載によるものであるが(以下同じ)、二号堰堤は本件土石流発生前に満砂状態に近かった疑いが濃い。)」を、九行目「埋立て」の後に「等」をそれぞれ加え、同二〇枚目表七行目「二〇〇ないし三〇〇」を「二〇ないし三〇」と、同枚目裏一行目「洪水流は」を「洪水流となって流下し」とそれぞれ改める。
七 同二四枚目表六行目の後に改行して「なお、昭和四六、七年ころには、一〇分間雨量が一〇ミリメートルとなれば土石流の引き金になり、その前後に二〇ないし三〇ミリメートルの雨量があれば十分土石流が発生するとの報告もなされている。」を、同二四枚目裏一〇行目「更に」の後に「渓岸を」を加える。
八 同二七枚目裏一行目「必要ではない。」の後に「予見可能性は加害公務員になんらかの結果回避義務を負担させるのが合理的であることを裏付ける程度のものであればよいから、何事かは特定できないが、ある種の危機が絶無であるとして無視できないという程度の危惧感で足りる。」を、八行目末尾の後に「予見可能性が結果回避義務の内容と相互に関連していることからすれば、特に、技術的制約もなく被控訴人ら行政庁にわずかの経済的、人的負担しかかからない付近住民に対する土石流発生の危険情報の提供及び避難体制の確立等の結果回避義務を課する前提としての予見可能性は本件において十分認められる。」をそれぞれ加える。
九 同二九枚目裏五行目と六行目の間に「ウ 被控訴人らは、気象情報を目安に住民を避難させるべきであるとするなら毎年のように大雨警報が出される機会の多い梅雨期や台風の季節には、勾配一五度程度以上のすべての谷沿いの住民を避難させなければならないことになり、これは非現実的で不可能である旨、また、土石流災害の体験のない百沢地区の住民の場合、防災意識も低いため、避難措置をとっても災害防止は困難であった旨主張するが、被控訴人青森県が昭和五〇年度に策定した地域防災計画の土石流の警報雨量に達するような強雨は一年に幾度もないし、避難させることが不可能だというのは想像に過ぎない。また、土石流の体験がなければ危険情報の提供や避難体制の確立という防災対策が実効性がないというなら、土石流を体験した国民はごく僅かであるから、およそかような防災対策はすべて実効性がないのでその必要もないという不合理な結論になる。百沢地区の住民は直接体験せずともマスコミの報道を通じて毎年のように各地で発生する土石流災害の恐ろしさは知っていたが、蔵助沢が、土石流発生危険区域であることを知らされていなかっただけであり、知らされていれば、当然、本件土石流発生の際も避難行動に出ていたはずであるから、被控訴人らの主張するところは、回避可能性又は回避義務否定の論拠とはなり得ない。」を加える。
一〇 同三六枚目裏一行目の後に改行して、次の字句を加える。
「なお、本件土石流は山腹崩壊により発生したものであるが、一般に土石流の発生要因となる山腹崩壊の因子としては、地形、地質、降雨量、植生などがあるとされ、これらが総合的に作用して崩壊が発生するものであるが、その機序の解明は十分なされていない。しかし、そのうちの主たる条件については次のようにいわれている。崩壊頻発の限界雨量は、日雨量二〇〇ミリメートル、三時間雨量一〇〇ミリメートル、時間雨量二〇ミリメートル程度である。崩壊の因子としては傾斜が最も関係が深く、二四度以上の傾斜地は、それ以下の傾斜地に比して三・八倍の崩壊率を示し、崩壊が最も多いのは三五ないし三六度の傾斜地である。地質的には粗粒地域で発生し易い。地形的には、窪んだ形状の二四度以上四〇度以下の急斜面で、十分風化した五〇センチメートルないし二メートル位の表土が、水の浸透しにくいち密な岩層を覆っているところで発生し易い。標高では、一〇〇〇メートルないし一二〇〇メートルの間に崩壊が多いといわれている。これを本件の崩壊地点について見ると、岩木山の平均傾斜角は二八度で、地質、植生は前記のとおりであるが、特に崩壊地周辺が不安定な浮石状態にあったこと、ダケカンバ等の灌木帯とその下部の草生地の境界部分を上端として崩壊していること、かつ崩壊部分の地形は崩壊上部で多少窪んでいて降水が浸透すれば地下水となって集中し易い状態となっていたこと、標高一四六〇メートル付近であること、当日の午前二時三〇分から午前四時までの降水量は約一一〇ミリメートル、山頂付近の最大時間降水量は約七〇ミリメートルと推定されているが、岩木山では、過去、八月に最大時間降水量三〇ミリメートル以上が二回、六四ミリメートルが一回記録されており、集中豪雨の発生時期は八月上旬から中旬に集中していることに照らして、本件の崩壊地付近はその定性的要因を満たしており、かつ当日の豪雨も過去の記録からして通常予測されるものであるから、本件土石流の発生要因となった山腹崩壊も被控訴人ら(主務大臣ほかの加害公務員)にとって十分予見可能であった。」
一一 同四一枚目表一行目「となる。」の後に「また、降雨水量は土石流発生の要因である山腹崩壊の因子であるから、この点からしても、降水量の観測は不可欠である。」を、九行目「土石流」の前に「山腹崩壊及びそれに伴う」をそれぞれ加える。
一二 同五〇枚目表一行目末尾の後に「また、右知事は、前記のとおり、岩木山における過去の集中豪雨発生の時期及びその規模からして、本件土石流発生当時、降水量観測設備がなくとも、山腹崩壊及びこれに伴う土石流発生の危険性を生ずる程度の豪雨の発生は予見し得た。」を加える。
一三 同五三枚目裏一〇行目末尾の後に「なお、青森県知事の場合と同様、岩木町長も、過去の豪雨の実績からして、本件災害当時と同規模の豪雨がその時期に発生することは事前に予見し得た。」を加える。
一四 同五四枚目表一〇行目冒頭から同五六枚目表四行目末尾までを次のとおり改める。
「5 損害
(一) 亡由太郎固有の慰謝料とその相続
亡由太郎は、本件災害で死亡した吉川輝子の夫であり、妻輝子と夫婦として互いに助け合いながら平和な家庭生活を営んできたが、自然災害の側面があるとはいえ行政の怠慢が惹き起こした本件災害により、突然妻の生命を奪われるという残酷な被害を受けたものであり、その精神的苦痛は到底測り得ぬ程甚大である。この亡由太郎の精神的苦痛に対する固有の慰謝料は五〇〇万円とするのが相当である。
亡由太郎の相続人である控訴人は、右慰謝料請求権を相続した。
(二) 吉川輝子の慰謝料とその相続関係
本件災害で死亡した吉川輝子の損害は、生命そのものを損害の対象とし、これを一括して慰謝料として捉えるのが妥当というべきところ、その金額は三〇〇〇万円とするのが相当である。右輝子の夫である亡由太郎は、当時の民法所定の相続分に応じて右慰謝料の三分の一である一〇〇〇万円の請求権を相続し、亡由太郎の相続人である控訴人がこれを相続した。
(三) 弁護士費用
亡由太郎は、控訴人訴訟代理人らに対し、本件訴訟の提起、遂行を委任し、同代理人らに対し、請求額の約一五パーセント相当額を手数料及び報酬として支払うことを約した。
よって、本件と相当因果関係にある弁護士費用は二二五万円である。
6 結論
よって、控訴人は、国家賠償法(以下「国賠法」という)に基づく損害賠償請求として、被控訴人らに対し、連帯して、前記損害の合計額のうち一五〇〇万円及びこれに対する本件災害発生の日である昭和五〇年八月六日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」
一五 同五七枚目表一行目「アの」の後に「うち、山腹崩壊地付近が不安定な浮石状態にあったことは否認し、その余の」を加え、同五八枚目表四行目「エ」を「オ」と、同六〇枚目裏二行目「(四)」を「(三)」とそれぞれ改め、三行目及び四行目を全部削る。
一六 同七三枚目表七行目末尾の後に「因に、控訴人は、本件災害時の山腹崩壊が予見可能であった旨主張するが、控訴人主張の過去の集中豪雨の際、本件崩壊地周辺で崩壊は発生してないし、本件災害発生の際、岩木山では本件崩壊地以外に多数の崩壊が発生しているばかりか、岩木山の南斜面一帯の山腹崩壊は森林伐採が全く行われておらず、森林が良好に保存されていた標高八〇〇メートル以上の地域に集中しているから、森林が必ずしも崩壊を防止するとはいえないし、単に過去に集中豪雨があったということから、本件の山腹崩壊が予見可能であったということもできない。」を加える。
一七 同七四枚目表末行「発生」の後に「、拡大」を加える。
一八 同一〇五枚目裏一〇行目「山腹崩壊等」から同一〇六枚目表一行目「であった」までを「崩壊地は全くなく、地盤は安定していて土砂崩壊等の危険性は認められず、解除しても林地保全上支障はないと判断された」と改める。
一九 同一〇六枚目裏二行目「しかし、」の後に「まず、被控訴人国(建設大臣)は、普通河川である蔵助沢の管理者、管理義務者ではないし、」を加える。
第三証拠《省略》
理由
第一本件災害の概要及び控訴人の地位
本件災害の概要及び控訴人の地位についての当裁判所の認定は原判決一一六枚目表三行目冒頭から同枚目裏二行目末尾までと同一であるから、これを引用する(ただし、同枚目表六行目「第三五号証」の後に「、原審における訴訟承継前の控訴人本人尋問の結果」を、同枚目裏二行目「事実」の後に「及び請求原因1二の事実」をそれぞれ加える。
第二前提となる事実関係等
蔵助沢の状況、本件土石流の状況及びその発生原因、土石流研究の状況、行政の土石流対策等被控訴人らの責任判断の前提となる事実関係等についての当裁判所の判断は、以下のとおり付加、訂正等するほかは原判決理由第二ないし第六(原判決一一六枚目裏七行目冒頭から同二〇七枚目表末行末尾まで)と同一であるから、これをここに引用する。
一 本件土石流発生当時の蔵助沢及びその周辺の状況(原判決理由第二)について
1 原判決一一七枚目表七行目「同2(一)(3)ア」の後に「のうち、山腹崩壊地周辺が不安定な浮石状態にあったこと(右事実は否認する。)を除くその余」を、同枚目裏三行目「一ないし五、」の後に「第二五〇号証の一ないし三、」を、五行目「甲」の後に「第八号証、」を、九行目「証人」の前に「原審」をそれぞれ加え、同行目「同水野裕」から一〇行目「力、」までを削り、一〇行目「同水山高久」の後に「原審及び当審証人水野裕、同松山力」を加える。
2 同一一八枚目表七行目「約一万年」から同行目「若い火山で」までを「その形成過程については未だ定説がないが、原始岩木山ともいうべき山体は洪積世に形成されたとされており」と改め、同枚目裏二行目「大部分は」の後に「谷頭部では狭く浅いが、」を加える。
3 同一一九枚目表末行「はいるが、」から同枚目裏四行目末尾までを「いる。右放射谷は、概ね侵食によって形成されたもので、山頂付近の爆裂火口の発生に起因するものが少なくない。山体の西側又は南西側には原地形面(火山原面)が残っている部分が多く見られ、その反対側ではこれが少なく、火山体としては、地形学的に幼年期又は早壮年期であると見られる(後記科学者会議報告書(上)には、鈴木隆介の研究成果を引用して岩木山は壮年期であるとの記載があり、原審証人水野裕及び同宮城一男も同旨の証言をするのに対し、後記県調査報告書には幼年期であるとの記載がある他、他の文献にも同旨の記載がある。しかし、幼年期、壮年期及び老年期は、地形学上、一般に千年ないし万年単位の時間的スケールでの地形輪廻の過程を説明する分類概念であり、かつマクロ的な地形変化を対象とすることから、ある山体が右のどの段階にあるかを一義的に判定し得る分類基準が確立しているわけではなく(右鈴木研究が提唱する分類基準が定説化しているとは認められない。)、右水野証言によっても、土石流発生の危険性の判定要因という観点から見れば、ある山体が幼年期にあるか壮年期にあるかが極めて重要な検討課題であるとまでは認められず、むしろ、一個の山体であっても、そこに存する各谷の侵食度合いを個別的に判定することに意味があると解されるから、右のとおり確定的判断はしない。)。」と改める。
4 同一二〇枚目表二行目「蔵助沢」から六行目末尾までを削り、その後に「これを詳細に見ると、谷頭から標高一四〇〇メートルまでの谷底の平均傾斜角は一二・七度であり、以下同様に、一四〇〇メートルから一三〇〇メートルまで二〇・三度、一三〇〇メートルから一二〇〇メートルまで二七・七度、一二〇〇メートルから一一〇〇メートルまで二一・八度、一一〇〇メートルから一〇〇〇メートルまで二四・四度、一〇〇〇メートルから九〇〇メートルまで一九・六度、九〇〇メートルから八〇〇メートルまで二〇・三度、八〇〇メートルから七〇〇メートルまで一八・七度、七〇〇メートルから六〇〇メートルまで一七・八度、六〇〇メートルから五〇〇メートルまで一六・三度、五〇〇メートルから四〇〇メートルまで九・〇度、四〇〇メートルから三〇〇メートルまで六・八度、三〇〇メートルから二〇〇メートルまで五・一度である。」を挿入する。
5 同一二〇枚目裏一〇行目「証人」の前に「原審及び当審」を加え、同一二一枚目裏二行目「乙二四四号証の五」から四行目末尾までを「右宮城証人が右著書に先立って発表した共著論文には、開析の進んだ放射谷の例として蔵助沢が挙げられていることに照らし、右著書の記述は主な開析谷を例示したに過ぎないと解される」。と改める。
6 同一二二枚目表一〇行目「爆裂火口」の前に「長径約五〇〇メートルの」を、同枚目裏三行目「鳥の海」の前に「小規模の」をそれぞれ加え、九行目「認められる。」を「認められ、当審証人松山力は、右谷頭部にある窪地が爆裂火口であると断言はできない旨証言している。」と、同一二三枚目表九行目冒頭から同枚目裏三行目末尾までを「以上によれば、蔵助沢の谷頭部に前記科学者会議報告書(上)に記載され、前記水野証人が証言するような長径約五〇〇メートルもの比較的新しい爆裂火口が存在していたとは認め難いし、仮にこれが存在していたとしても、その火口壁の崩壊により多量の土石が継続的に供給され蔵助沢に堆積していたとは到底認められない。また、蔵助沢の中流部に谷底に土石を継続的に供給するような谷壁の崩壊部といえる顕著な地形的特徴を示す部分があったとはにわかに認め難い。ただし、右のとおり、水野証人も、小規模な崩壊部が断続的にあった旨証言するに留まっていること、一般に谷(渓流)において、規模、頻度、また、それを谷壁の崩壊とまでいうかどうかは別として、谷壁を形成していた土石が崩落する現象は当然起こり得るものと考えられることからすれば、水野証人がいう副次崩壊部とまではいえないにしても、蔵助沢においても、航空写真では判読できない小規模の崩壊痕跡が谷壁に存在していた可能性は否定できない。なお、谷壁には崩壊し易い地質部分があることは後述する。」とそれぞれ改める。
7 同一二四枚目表二行目「や、」から同枚目裏八行目末尾までを次のとおり改める。
「によれば、二万五〇〇〇分の一地形図を基に他の沢との比較対照のため標高一二〇〇メートル以下の河床縦断曲線を表したものであることが認められるが、右標高より上流部の記載を欠くこと、右地形図の縮尺からしてその精度には限界があると考えられること及び右証言中には、その正確性に問題があり得ることを否定しない部分があることに照らして、右図表を適切な証拠として採用することはできない。河床縦断曲線に関する本件の各証拠中最も精度が高いと思料されるのは、その内容からして五〇〇〇分の一治山図(乙第一〇一号証の二ないし一三の原図と同一又は同種のものと推測される。)に基づき作製されたと認められる前掲乙第二五四号証中の図―4(その正確性を疑わせる証拠はない。)であるところ、右図―4によれば、蔵助沢の河床縦断曲線は、緩い凸型を呈していることが認められ、右図―4と前記認定の蔵助沢の一〇〇メートル区間毎の平均傾斜角(河床勾配)を総合すると、蔵助沢は、標高一三〇〇メートル付近から標高八〇〇メートル付近にかけての区間が他の区間に比して比較的急な傾斜となっていると見ることができるが、特に顕著な急勾配区間はない。《証拠省略》によれば、蔵助沢とほぼ同時に土石流が発生した岩木山南麓の他の五つの沢の河床縦断曲線は、いずれも概ね緩やかな凹型を呈し、谷頭部から中流部にかけての区間の傾斜が急になっていることが認められるほか、蔵助沢と右五つの沢とを比較すると、河床縦断曲線の型が相違すること以外に、蔵助沢における区間別の最高平均傾斜角は二七・七度(標高一三〇〇メートルから一二〇〇メートル区間)であるが、他の五つの沢ではいずれもこれを上回る区間が四ないし六区間あること、蔵助沢では標高六〇〇メートルから五〇〇メートル区間まで平均傾斜角約一六度以上の区間が続く(谷頭直下の区間を除く。)のに対し、他の各沢ではより標高の高い地点までしか右程度の傾斜を保っておらず(標高七〇〇メートルから六〇〇メートル及び標高六〇〇メートルから五〇〇メートルの二区間での平均傾斜角はいずれも蔵助沢が他の各沢より急である。)、谷頭から谷底傾斜が一〇度以下に遷移する地点までの距離は、蔵助沢を一とした場合、他の各沢は〇・八四ないし〇・九七であることが認められる。
右のとおり、蔵助沢だけについて見ると、中流部付近の傾斜がやや急となっているやにも見られるが、顕著な急傾斜といえる程の区間はなく、これらの点から、蔵助沢が一旦土石流が発生すると加速、侵食され易い地形的特徴を有しているといえるか否かはにわかに判断できない。控訴人は、他の沢との比較論にも言及するところ、前記区間別の谷底平均傾斜角を見ると、他の各沢の方がはるかに急傾斜区間が多いが、他方、蔵助沢は、他の各沢に比して低い標高地点まである程度の傾斜が継続し、また、谷頭から谷底傾斜角が一〇度以下の緩傾斜に遷移する地点までの距離が若干長いことが地形的な相違点として捉えられるが、これらの点を総合した結果いかなる評価がなし得るかはにわかに判断できない。仮に控訴人主張のように蔵助沢が他の各沢に比して土石流が加速等し易い地形的特徴を有しているとの評価が可能であるとしても、被控訴人岩木町のみならず、同青森県及び同国の責任を問う本件訴訟において、岩木山南麓の六つの沢という極めて限定された母集団の中で、蔵助沢が相対的に土石流が加速等され易い地形的特徴を有するか否かを論ずることが果たしてどれ程有意味であるのか疑問といわざるを得ない(もとより、右は、本件訴訟における位置付けがどうであろうと、土石流の科学的解明のための基礎的研究の一環として、右のような相対比較を地形学的見地から解析、研究することの意義を否定する趣旨ではない。)。
したがって、控訴人の右主張は採用できない。」
8 同一二五枚目表四行目「火山泥流」の後に「(火山灰層)」を、同枚目裏九行目「火山泥流」の後に「及び火山灰層」をそれぞれ加え、同一二九枚目表末行末尾の後に改行して「(三) 科学者会議報告書(上)及び原審及び当審証人松山力の証言中には、本件土石流発生後の調査によれば、蔵助沢の二号堰堤上流の谷壁に露出した安山岩溶岩には節理が多く見られること等から、谷壁の安山岩溶岩には、本件土石流発生前にその上層の堆積物の重量等によって崩落して谷底に堆積したものや、右土石流により容易に侵食されたものがあるとの部分がある。一般に安山岩は堅固で侵食されにくいものとされていることが認められるが、谷壁に露出し、節理を有する安山岩溶岩が崩落し易いこと及び安山岩溶岩に節理が生じ易いことを否定すべき証拠もないから、右松山証言を地質学的に不合理であるとして一概に排斥することはできない。もっとも、本件土石流発生前における二号堰堤上流の谷壁全体の具体的状況を明らかにする客観的証拠はないから、右松山証言を全面的に採用することはできないが、いずれもその量はともかく、谷壁崩落による谷底堆積物が存在していたであろうこと及び本件土石流により谷壁が侵食されて剥離した安山岩溶岩が土石流を構成する土石の一部となったであろうことは推測するに難くない。」を加える。
9 同一三〇枚目表三行目「昭和三三年」から六行目「記録している。」までを「昭和三三年八月一二日又は二一日に最大時間降水量約六四ミリメートルを記録し、昭和三五年八月二日及び昭和四三年八月一一日には、最大時間降水量約四七ミリメートル及び約三三ミリメートルを記録している(ただし、右二件については日付と降水量の対応関係が反対である可能性がある。)。」と改める。
10 同一三〇枚目表九行目冒頭から同一三一枚目裏四行目末尾までを次のとおり改める。
「昭和四九年撮影の航空写真によると、蔵助沢の流路に多数の巨礫の存在を認めることはできない。また、昭和四八年に二号堰堤上流を撮影した写真によると、谷底に多量の堆積土砂が存することは窺えない。しかし、航空写真から沢の堆積状況を判読するのは自ずから限界があるし、右二号堰堤上流の写真によっても蔵助沢のごく一部の堆積状況しか窺い知ることができず、他に本件土石流発生前の蔵助沢の全流路(ただし、本件との関係では下流は県道付近まで)における沢(谷底)の堆積物の状況を具体的に確知し得る的確な証拠はない。控訴人は、岩木山が壮年期にあることを理由に多量の土石が谷底に堆積していた旨いうが、前記説示のとおり、岩木山が地形輪廻のどの段階にあるかによって、直ちにそこに存する特定の沢(谷)における堆積状況を推認するのは困難であるし、不適当であるから、右主張は採用できない。したがって、蔵助沢における谷底堆積物の具体的状況(堆積物の種類、堆積地点、堆積状況、堆積物の量等)は不明というほかないが、後記認定説示の土石流の発生因子、本件土石流の発生地点及び土砂収支等に照らすと、本件土石流によって、あるいは土石流に発展する前段階の各個の土砂が掃流力で運搬されていた状態での掃流力や運搬される土石の衝突によって谷壁から剥離、崩落した土石が相当量あると推測されること並びに山腹崩壊土砂も本件土石流を構成したと推測されることを考慮しても、山腹崩壊地点から本件土石流が発生した地点までの間に他の因子と相まって土石流を発生させるに足りるだけの質、量を有する谷底堆積物が存在していたこと、本件土石流は後記のとおり二号堰堤を満砂状態にした上越流していること(因に、後記のとおりその信頼性は十分ではないが、県調査報告書では、本件土石流により、二号堰堤までの間に(渓床及び渓岸にあった)土砂約一万一八〇〇立方メートルが洗掘されたと推定している。)、さらに本件土石流により全体として約五万ないし七万立方メートルの土砂が移動したと推定されていることに照らせば、土石流発生地点から下流においても、本件土石流の衝撃に耐え得る程安定した状態にない巨礫を含む谷底堆積物が相当量(右のとおり定量的に示すことは不可能であるが)存在していたことは否定できない事実といえよう(なお、昭和四一年、一号床固工を設置した際の工事設計説明書には、工事施工地付近の推定年間流出土砂量三〇〇立方メートルとの記載がある。)。ただし、右はもっぱら本件土石流が現に発生したこと及びその規模から、いわば当然のこととして事後的に推定される範囲の事実に過ぎないから、右事実をもって蔵助沢がいわゆる荒廃した谷であったと断定するのは相当でない。すなわち、そもそも「荒廃」の有無を一義的に判断し得る客観的尺度は存在しないと考えられるところ、表面的観察から谷底堆積物(岩盤までの堆積物層に完全に埋没せず、その全部又は一部が露出している堆積物)や谷壁崩壊が多く見られることをもって「荒廃」した谷というとしても、前述のとおり、蔵助沢がかような意味で明らかに荒廃していたと認めるに足りる証拠はない(四一年調査で蔵助沢が甲型に分類されたこととの関係は後述する。)。
なお、沢の堆積状況及び二号堰堤が本件土石流に対して果たした阻止効果等との関係で、本件土石流発生当時における同堰堤の堆砂状況が問題となる。控訴人は、二号堰堤は本件土石流発生前に既に満砂状態に近かった疑いが濃い旨主張し、当審証人松山力の証言及び原審における訴訟承継前の控訴人本人の供述中にはこれに副う部分がある。右松山証言は、本件土石流発生後の現地調査において、二号堰堤の袖部と水通しの上部が接する付近に堆砂した土砂石の一部に引き締まった砂泥(黒土)を主とする薄い層が確認されたが、通常土石流で運搬されてきた砂泥は引き続く洪水流により流出すること、本件土石流発生からそれ程経過してない時点では土石流によって運搬され堆砂した砂泥が引き締まった土層にはならないことを根拠として、右砂泥の層は本件土石流発生前から存在していた旨いうものである。しかし、右松山証人が現地調査したという時期はその証言によっても定かでなく(本件土石流発生の何週間後という部分もあるし、昭和五〇年の一〇月又は一一月ころという部分もある。)、地質学の専門家である同証人の知見を無視するものではないが、本件土石流発生の何週間か二、三か月後に同証人のいうような土層が一部で確認されたことをもって、二号堰堤が満砂に近い状態にあったというのは、なお根拠が薄弱というべきである。後記のとおり、原審における訴訟承継前の控訴人本人の供述は採用できず、他に控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。かえって、二号堰堤の計画貯砂量は約一万立方メートルであるところ、昭和四八年撮影の写真及び甲第一九号証中の「第1回出来形設計図」によれば、昭和四八年当時の二号堰堤は、水通しの下端から約五、六メートル下付近までしか堆砂していなかったことが窺われること、科学者会議報告書(下)は、昭和四九年七月撮影の航空写真から右撮影当時において二号堰堤は一応満砂ではなく、堆砂していたとしても三分の一ないし四分の一程度ではなかったかとの判断が大勢を占めた旨記載していること、県調査報告書は、本件土石流発生当時における堆砂量を約二〇〇〇立方メートルと推定していること(右科学者会議報告書でいう航空写真との同一性は不明だが、同じく昭和四九年に撮影された航空写真から当時の堆砂量を判読し、右土石流発生当時においても同様の堆砂量であったとしている。)に鑑みると、二号堰堤の完成後約五年を経過した昭和四九年当時において、同堰堤の堆砂量は計画貯砂量の約三分の一ないし五分の一程度であったと認められ(当時、ほとんど満砂状態にあった旨いう訴訟承継前の控訴人本人の右供述は採用できない。)、その後、本件土石流発生までの約一年間にそれまでの約五年分の堆砂量を上回る量を堆砂させる原因(それが唯一の原因という意味ではない。)となるような特別の自然現象が起きたことを認めるべき証拠もないから、本件土石流発生当時においても、二号堰堤の堆砂量は昭和四九年当時からさほど増加していなかったと推認するのが相当である。」
11 同一三二枚目表末行から同枚目裏一行目にかけての「同松山力」の後に「(原審及び当審)」を加える。
12 同一三二枚目裏八行目「国有林野制度が確立した」を「いわゆる官民有区分により蔵助沢流域を含む岩木山一帯の山林が概ね官有(国有林)とされた」と改め、同一三三枚目表一行目「薪炭共用林野設定契約」の後に「(国有林野法一八条)」を、同枚目裏六行目「国が、」の後に「昭和三四年に林野庁長官通達をもって」をそれぞれ加え、同一三四枚目裏五行目「五六・九八」を「五〇・〇五」と、七行目「九三・四〇」を「八六・四七」とそれぞれ改め、同行目「指定した」の後に「(同年八月一八日の後記保安林指定解除後、百沢地区の六・九三ヘクタールが追加指定され、これにより総面積は九三・四〇ヘクタールとなった。)」を、同一三五枚目表四行目「土砂流出防備保安林」の後に「(同法二五条一項二号、「保安林及び保安施設地区に関する事務処理規程」二条)」をそれぞれ加え、同枚目裏一行目「同意した。」を「同意し、昭和四二年の薪炭共用林野契約更新の際、右区域内の共用林野は契約対象から除外された。」と改め、四行目「水源かん養保安林」の後に「(森林法二五条一項一号、前記事務処理規程二条)」を加える。
13 同一三七枚目表三行目「伐採した」の後に「(したがって、右伐採地全体での一ヘクタール当たりの伐採材積は約六三立方メートルとなるが、国有林野の範囲を小区分した小班毎に見ると、例えば、一ヘクタール当たりの伐採材積がわずか約一九立方メートルに過ぎない小班もあれば、これが約一八八立方メートルとなる小班もあって均一性は乏しい。)」を加え、七行目から八行目にかけてのかっこ書を削り、同枚目裏三行目「森林」を「の森林(スキー場指定後本件土石流発生当時までほとんど伐採されないものと推測される。)」と改め、同一三八枚目表八行目末尾の後に「なお、後記のとおり、昭和四一年に蔵助沢流域が幅二〇メートルの範囲で砂防指定地に指定されたところ、原審証人佐藤一男は昭和四一年度以降の前記伐採において砂防指定地内を伐採したことはない旨証言するが、同証人作成の前掲乙第一八三号証と前掲乙第一七五号証及び第一七六号証の各二とを対比すると、右証言には一部疑問が生じないわけではない。しかし、砂防指定地内で伐採がなされたことを具体的に明らかにする証拠もないから、砂防指定地の大部分では全く伐採はなされておらず、一部については伐採の有無が不明というほかない。」を、同枚目裏一〇行目「皆伐」の後に「(ただし、右森林面積にはキャンプ場の一部が含まれる可能性があるが、キャンプ場ではほとんど伐採がなされてないと推測されることは前記のとおりである。)」をそれぞれ加える。
14 同一四一枚目表一行目「しているが」を「しており、ゲレンデ上部では外観上はっきりした沢地形も認められない程幅が狭く浅くなっているが、下部になると深さが増し」と、六行目「昭和四六、七年ころ」を「昭和四〇年代の初めから中ころ」とそれぞれ改め、同枚目裏一行目「埋め立てた」から五行目「であった。」まで及び八行目「なお、」から九行目末尾までを削り、同一四二枚目表四行目「松山力」の後に「(原審及び当審)」を加え、同行目「少なくとも約五〇メートルは」を「蔵助沢と交差する作業道の下流の地点から約五〇メートルで、スキー場横断部分の最下流部の深い部分を含む区間(原審)又は五〇メートルとの推定は多少問題があるかもしれないが、一五メートルよりは長い距離で最下流部を含む区間(当審)が」と、九行目「更に、」から末行「していること」までを「同証人の証言自体に一貫性がなく曖昧な部分があること」と、同枚目裏一行目「前記(1)」から二行目末尾までを「にわかに採用できない。」とそれぞれ改め、その後に改行して「一方、実際に右沢の埋め立てをしたという原審証人五十嵐重城は、自分が埋め立てたのは、長さ約一五メートル、深さ約一・五メートルから三・五メートル、幅約二・五メートルから五・五メートルである旨証言するが、これを裏付ける客観的証拠はないから、専ら記憶に基づくものと推測される右証言を直ちに採用することも躊躇され、他に、スキー場横断部分における蔵助沢の埋め立て状況を具体的に明らかにする的確な証拠はない(因に、被控訴人岩木町は、原審における昭和五四年九月一七日付け第五準備書面における沢埋め立て状況についての主張では、「昭和四二年から昭和四四年にかけて作業道の上流部約二〇メートルに亘り流路部分に礫を入れて平坦化した。」旨主張し、作業道下流での埋め立てについては何ら触れていなかったが、昭和五八年二月一七日付け第一三準備書面において、「昭和四六、七年ころ、作業道の下流約二〇メートル(ただし、下端は埋め立てた土石が自然に下流に崩れ落ちていって止まる地点)の区間に、沢の縦断的、横断的形状が特定のものとなるよう計画的に埋め立てた。」旨主張するに至ったが、右五十嵐証言に照らして、右のような計画的な埋め立てがなされたとは到底認められないし、右のような主張の変遷自体も弁論の全趣旨として考慮せざるを得ない。)。そうすると、右埋め立て状況を証拠により確定することはできないというほかないが、控訴人が主張する少なくとも長さ一五メートル以上、深さ三・五メートル、幅五メートルという数値(長さについては結局不確定となるが)は、前記各証拠に照らして、事実と大きく齟齬するものとは考えられない。しかして、前記のとおり、松山証言では沢を埋め立てた土砂量は約六二五立方メートルとされ、また、被控訴人岩木町の主張(右第一三準備書面ほか)では、一六五・六立方メートルと試算されるとされているが、前記説示の点から、いずれも直ちに採用できず、約一六五立方メートルを上回り、約六二五立方メートルを下回る量と推定するほかない。」を加える。
15 同一四三枚目裏六行目「第三四」の前に「第八号証、第一九号証、」を、七行目「乙」の後に「第三号証の一ないし七、」をそれぞれ加え、末行「第八」を「第九」と同一四四枚目表一行目「第一九」を「第二〇」とそれぞれ改め、七行目「川越信清」の後に「(原審及び当審)」を加える。
16 同一四五枚目表六行目末尾の後に改行して次の字句を加える。
「蔵助沢流域が砂防指定地に指定された経緯は次のとおりである。昭和四〇年ころ、岩木町から青森県に対し、同町での公共事業(砂防事業と特定していた形跡もある。)を増やして欲しいとの要望があり、同年、これを受けて同県の土木部河川砂防課の担当職員等が蔵助沢流域を踏査して砂防設備を設置する適地の選定作業をした結果、一号床固工が設置されている付近に一部侵食が見られたことから、渓床の固定、侵食防止のため、ここに床固工を設置することとし、建設大臣に対し、蔵助沢の砂防指定地指定の申請をするとともに(右のとおり、砂防法二条により、砂防設備を設置するには既に砂防指定地指定がなされているか同指定がなされることが前提となる。)、一号床固工の設置の申請をし、同大臣は、右のとおり、砂防指定地指定をするとともに、予防砂防事業として一号床固工設置事業の実施認可をした。」
17 同一四五枚目表一〇行目「蔵助沢」から末行「ために」までを「前記の経緯から」と改め、同枚目裏七行目「であった。」の後に「ただ、一号床固工は予防砂防事業(現在は荒廃してないが、将来発生が予想される土砂害を予防する目的で実施する事業)としてなされているが、昭和四〇年作成の青森県の「砂防設計計画要領」には、予防砂防は「異常出水時の山くずれ等による土石流をくいとめるのが原則であることに留意のこと」との記載があり、さらに右「計画要領」の基礎資料となったと推測される昭和三三年建設省作成の「河川砂防技術基準」中にも土石流に対する工法についての記述があることに照らすと、一号床固工の設置は土石流扞止目的にあるか、少なくとも土石流対策を十分意識したものではないかとの疑問が生じる。しかし、後記第六の一において詳述するとおり、昭和四〇年当時、青森県の砂防行政の担当者が土石流について当時の研究水準を基準にしても十分な認識を有していたとは到底認められないから、土石流対策を意図して一号床固工を設置したとは考えられない(右「計画要領」の記載は、確証はないものの、建設省が作成した何らかの文書を引き写したに過ぎないと推測される。)。」を、同一四七枚目裏九行目「一一・六メートル)」の後に「、水通しの天端幅二メートル」をそれぞれ加え、同一四七枚目裏一〇行目と末行の間に左を挿入する。
「(三) 堰堤及び各床固工の設置目的について
控訴人は、一号及び三号各床固工並びに二号堰堤は、その設置位置、時期等に照らして百沢スキー場を守るため設置された疑いがある旨主張する。これに副う証拠として、科学者会議報告書(下)には、一号床固工はスキー場に入ってくる土砂を食い止め、三号床固工はスキー場から流出する土砂を抑止する目的で設置されたものと思われ、右各床固工は「スキー場を守るためのダム」である旨の記載があり、原審及び当審証人川越信清も同旨の証言をする(右報告書及び証言でも二号堰堤が百沢スキー場を守るため設置されたとする部分はない。)。しかし、設置の位置及び時期から直ちに一号及び三号各床固工が土砂の百沢スキー場への流入及び同スキー場からの流出を防止する目的で設置されたと推定するのはなお根拠不十分である。なるほど、右科学者会議報告書の記載や川越証人の証言にも一理あるやにも思われ、あるいは、右各床固工設置に当たって右スキー場の存在が考慮された可能性を全く否定することはできない。しかし、右各床固工設置当時、その付近の渓床、渓岸の侵食が著しく、蔵助沢が右スキー場を横断する部分の上流部では流下、崩落した堆積物のため渓床が上昇し、また、その下流部では渓床、渓岸が縦横に侵食され、スキー場開設時に比して積雪期でもゲレンデに凹凸が発生し、または、未だ右のようなスキーヤーにとって危険な状態までにはなっていなくても、放置すれば短期間のうちにかような状態になることが予想されたこと、あるいは、渓流での土砂の生産、流出を抑止して下流での洪水災害等を防止するという本来の治水上砂防の観点から見ると、右各床固工が位置的、構造的に不適当であったことを認めるに足りる証拠はないから、もっぱら本来の治水上砂防の目的とは異なる控訴人主張のような目的で右各床固工が設置されたとは認め難い。仮に、より長期的視野に立って、百沢スキー場での土砂堆積等を将来的に防止することをも念頭に入れて右各床固工が設置されたとしても、それは単にスキー場を「守る」ことだけを意味するものではないことは当然であるし、治水上砂防の目的と相いれず右目的達成を阻害するような事項を考慮したものともいえないから、これを非難するのは相当ではない(そもそも、その設置目的が土石流対策ではないという点では当事者双方の主張が一致している右各床固工の設置目的如何が、本件訴訟の争点である被控訴人らの国賠法上の責任とどのように関係するのかは控訴人の主張によっても明確にされていない。)。」
18 同一四八枚目表九行目「昭和」から末行「照らすと、」までを削り、同枚目裏一行目「の二号堰堤の状況は、」を「も」と改める。
二 本件土石流の状況(原判決理由第三)について
1 原判決一五五枚目裏一〇行目「①」の前に「県調査報告書は、要旨、」を、同一五六枚目表二行目「黒森山」の後に「(標高八八七メートル)」を、同枚目裏二行目「から、」の前に「、ブルドーザーのキャタピラ跡が残っていたことなど」をそれぞれ加え、一〇行目「ことが認められ、」から末行末尾までを次のとおり改める。
「としている。右のうち、スキー場の雨裂溝に幼苗等が残存していたことから、スキー場の中下流部の降雨は著しい侵食を起こすほど大きくなかったとの推定部分は、にわかに採用できない。すなわち、雨裂溝がいつ生じたのかも不明であるし、この点を措くとしても、当審証人松山力の証言によれば、スキー場の中下部にあるローム質火山灰層は一般には水流により容易に侵食されにくいことが認められる、右事実によれば、本件災害前に生じたはずの(右災害前後の前記降雨後に生じたものであるとすれば論外である。)キャタピラの跡が残存していたことはスキー場の中下部を流下した降雨水がそれほど多量でなかったことを推認させる一事情とも見られるが、他方、雨裂溝が本件災害当時の降雨により生じたとすれば、そこに多量の降雨水の流下があったことを推認させるともいえるから(雨裂溝又はそれに近い細溝がもともと存在したとすれば別論であるが、右のとおり雨裂溝の発生時期は不明である。)、結局、雨裂溝、植生、キャタピラ跡残存等の前提事実から、スキー場中下部での降雨が著しい侵食を起こすほど大きくなかったとの推定をするには無理があり、右各前提事実を総合してスキー場中下部での降雨量又は流水量等につき何らかの推定をするのは困難である。しかし、採用できない右推定部分を除外しても、洪水痕跡の比較や崩壊地、土石流発生地点の標高から、上流と下流の降水分布には差があり、最強の降雨は南側斜面の山頂付近であるとの右①(「最強の」で始まる部分)の推定は十分成り立つものと考えられる。他に、県調査報告書の右記載を左右するに足りる証拠はないから、右指摘の点以外はこれを是認できるというべきである。」
2 同一五七枚目裏一行目冒頭から同一五八枚目表一〇行目「いずれにせよ、」までを削る。
3 同一五八枚目裏一行目末尾の後に「(なお、科学者会議報告書(上)並びに原審及び当審証人松山力の証言中には、谷底と平行でない水平的な洪水痕跡の存在を根拠に、山腹崩壊による崩壊土砂は谷底で一旦滞留して天然ダムを形成し(ダムアップ)、引き続く土石礫の増加と増水でこれが崩壊して土石流化した旨の部分があるが、県調査報告書は、崩壊地直下流両岸の植生が残されていたことを根拠にダムアップを否定する。松山証言のいう「洪水痕跡」及び県調査報告書でいう「植生の残存」は、いずれもその裏付けとなる他の客観的証拠がない点では共通であり、ダムアップの存否を証拠上確定するのは困難であるが、本件土石流の発生、流下につき、ダムアップの存在なくして説明不能な点は特にないから、一応、これがなかったものと考えることとする。)」を加える。
4 同一六三枚目裏一〇行目冒頭から末行末尾までを「県調査報告書は、堆積土砂量に河川への流出土砂量を加えたものを全移動土砂量とし、これから洗掘土量を求める手法により、本件土石流により移動した土砂の量について、次のとおり算定した。」と、同一六四枚目表四行目「一万二三〇〇」を「一万一八四〇」と、同行目「であった」を「で、右崩壊地からの土砂と合わせて約一万二三〇〇立方メートルが移動した」とそれぞれ改め、同枚目裏一行目「掘され」の後に「、これがほぐれて約一万一〇〇〇立方メートルとなっ」を、同一六五枚目表一〇行目「メートル」の後に「(二号堰堤、スキー場及び県道の上流約五〇〇メートルの地点から三本柳部落までの区間での各堆積土砂の総量に下流に流下した土砂の量を加えたもの)」をそれぞれ加え、同一六五枚目裏一行目冒頭から五行目末尾までを「一方、科学者会議報告書(上)も、堆積土砂量から移動土砂量を算出する手法により、二号堰堤で七〇〇〇立方メートル、スキー場付近で七〇〇〇立方メートル、県道から上流六〇〇メートル区間で一万六九〇〇立方メートル、県道下流水田地帯で三万八五〇〇立方メートルの土砂がそれぞれ堆積し、他に地区外に流出した土砂もあるから、本件土石流により移動した全土砂量は約七万立方メートル以上となる旨記載している。かように移動土砂量につき県調査報告書と科学者会議報告書とで結論に差異が生じた一番の原因が県道上流約五〇〇ないし六〇〇メートルの地点から下流での堆積土砂量の算定にあることは明らかであるが(県調査報告書は下流に流下した土砂を含めても約三万三四〇〇立方メートルとするのに対し、科学者会議報告書は五万五四〇〇立方メートルとする。)、この点につき、県調査報告書の記載と科学者会議報告書の執筆担当者である原審及び当審証人川越信清の証言とを対比すると、両者の算定方法は基本的にそれほど異ならないものと認められるが、県調査報告書に記載された算定方法の方がより詳細であることが判明する。しかし、県調査報告書もその算定方法からして相当の誤差の存在は免れないものと思料され(この点は技術的にやむを得ないものといえる。)、同報告書記載の方がより精度が高いことを裏付ける確たる証拠もない。してみると、移動した土砂量は約五万立方メートルないし約七万立方メートルと推定されると結論するしかない。」と改める。
5 同一六六枚目裏一行目「そうすると、」を「なお、科学者会議報告書(上)は、」と、五行目「される。」を「している。」とそれぞれ改める。
三 土石流の特性等と本件土石流の原因(原判決理由第四)について
1 原判決一六七枚目表九行目「第五八号証、」の後に「第七三、第七四号証、」を加える。
2 同一七〇枚目裏四行目冒頭から末行末尾までを次のとおり改める。
「渓谷の勾配及び堆積物の蓄積が素因的因子であるのに対し、多量の水の供給は引き金的因子であるという意味でも、より直接的な因子であるといえるが、この水の供給の誘因となるのは一般的には降雨である。しかし、後述のとおり、土石流発生源への雨水の集中過程はなお学問的に未解明の分野であり、昭和四〇年代においても、特定の谷での過去の資料から統計的に一定量以上の雨量があれば、当該谷において又は一般的に土石流発生の危険があるとの確率論的な研究成果はそれなりに蓄積されていたが、自然科学的観点から見て、普遍的かつ確率的にも高精度の定量的基準といえる程の成果は現在においても得られていない。」
3 同一七三枚目裏三行目「避難」から四行目末尾までを「、土石流災害発生の具体的危険性が真に切迫したことを確知した時点で避難措置をとるとするなら、現実には右措置をとる時間的余裕がない場合がほとんどとなろうが、より早期に右措置をとるとするなら、必ずしもそうはいえない。」と改める。
4 同一七五枚目裏七行目「ことから」の後に「、土石流の発生防止及び」を加える。
5 同一七七枚目表一行目冒頭から同枚目裏六行目末尾までを次のとおり改める。
「土石流の流路に森林が存在することによって土石流の流下が阻止され、または土石流のエネルギー損失効果が発生するか否か、すなわち、森林の土石流抑止機能につき具体的観測資料又は実験結果に基づいて論じた研究論文等専門文献は、本件証拠中にはほとんどなく(例えば、甲第五八号証の中の「土石流の流下距離と林相」についての記述がこれに該当すると解され、これによれば、壮齢林に比べて伐採地の方が土石流の流下距離が長くなるとのことであるが、試料となった各土石流が発生した谷の同一性及び各土石流の規模、森林の樹種、密度、面積等の具体的状態等が不明であるから、記述された数値に誤りがないとしても、これを単純に比較して森林の土石流抑止効果を定量的にいうことはできないであろう。)、かような研究が広くなされていることを認めるべき証拠はない。この点につき、原審証人宮城一男は森林が土石流抑止機能を有することは常識的なことである旨証言し、同木村春彦も、右抑止機能を認める証言をしている。しかし、原審証人水山高久は、土石流中の土石が立木に衝突して停止し、または立木を倒して流下する現象が起きる場合があること及びかような現象により理論上は土石流のエネルギー損失効果が発生することは肯定するが、その効果は定量的に表現できる程大きくない旨、また、土石流がある程度の速度で流下しているところに立木があると、これが折れ、または根から侵食されて流木となり、土石流災害を拡大する旨証言しており、科学者会議報告書(上)にも、土石流の流下、堆積地点に森林があった場合、土石流災害を助長するか(流木被害)、軽減するかは、一般的にはいえないとの記載があるほか、右証人木村も、一五年生以下の幼齢林や針葉樹林では土石流抑止機能がほとんどないか余り期待できず、かえって倒木がダムアップの原因となることがある旨証言している。
以上によれば、森林の樹種、樹齢等のほか勾配等の他の条件次第では、森林(これを構成する立木)が土石流中の土石を停止させることがあり得るといえるし(勾配等の関係で、立木がなくともその付近で停止したはずの土石が偶々立木に衝突して停止する場合もあるであろうし、立木がなければ停止するまでには至らずに流下してしまったであろう土石が立木に衝突することによって停止する場合もあろう。)、また、停止させないまでも、土石流のエネルギー損失効果をもたらすといえる。しかし、森林の土石流抑止機能は定量的に把握されていないし、森林の存在が土石流の拡大要因となることもあるから、現実に発生した土石流の流路の一部に森林があったと仮定して、土石流がいかなる影響を受けたかを論ずるのは困難である。なお、土石の堆積条件を充たすような緩傾斜区間に根系の深い森林があれば、ない場合より一層多量の土石を堆積させるやにも思われるが、これを土石流全体のエネルギーに与える影響という観点から論じた場合、森林の存在がどれだけのエネルギー損失効果をもたらすのか、それが定量的に表現できるほどのものなのかは不明であり、むしろ、これを余り過大視できないというべきである。」
6 同一七八枚目表四行目「崩壊部分」から五行目「ないことから、」までを削り、末行末尾の後に改行して次の字句をそれぞれ加える。
「右新規崩壊の機序については、県調査報告書と科学者会議報告書(上)(並びに当該部分の執筆担当者である原審及び当審証人松山力の証言)とでは説明がやや異なり、それは右崩壊地付近の地質の理解の相違に由来するところが大きいと解されるが、証拠上、いずれの説明が正確であるかを確定することはできない。
ところで、山腹崩壊の因子等につき控訴人は前記請求原因4、(六)、(1)、イ記載のとおり主張し、これに副う文献も存在する(ただし、右は長野県南木曽地方の国有林における研究であり、直ちに一般化できるものとは解されない。)。他にも、同様の研究が見られるが、これらによれば、山腹崩壊の因子、誘因の種類、その定性的性質については共通認識に近いものが存在するものと認められるが、各因子の相互関係等については未解明であるといわざるを得ない。」
7 同一七九枚目表三行目「七年生から」を「概ね」と改め、同枚目裏六行目「証人」の前に「原審及び当審」を加え、同行目「同」を「原審証人」と改め、同一八〇枚目裏三行目末尾の後に改行して次の字句を加える。
「付言するに、百沢スキー場が開設されずにゲレンデ下部の森林が残っていたと仮定して、本件土石流がいかなる影響を受けたかはにわかに判断できない。百沢スキー場に流入した本件土石流はゲレンデで三ルートに分かれているが、ゲレンデ付近の森林が伐採されて無立木地帯が生じ、かつゲレンデの平坦化作業がなされたこと等がルート分散の主因となったとも考えられるし、傾斜等地形的要因が主であるとも考えられる。仮にスキー場開設による森林伐採等がルート分散の主因であるとしても、ルートが分散しなければそこで土石流が停止し、または規模が小さくなったといえるかは疑問であり、かえって、ルートが分散したことにより少なくともその地点では土石流のエネルギーが拡散したものであり、もしルートが分散しなければ、より強大な土石流がスキー場を激しく侵食し、立木を倒してこれを巻き込み、また、土石の堆積もより少ないままスキー場を流下したとも考える余地がある。また、なるほど、前記のとおり、百沢スキー場付近では数千立方メートルもの土石が堆積したが、それがもっぱら傾斜等の地形的条件によるものだとしても、森林が残存していたなら更に多量の土石が停止、堆積したのではないかともいえそうであるが、右説示のとおり、林相等に照らして多くの土石流阻止効果は期待できないというべきであるし、実際にどの程度の土石を停止させ得たか、土石流のエネルギーをどの程度減少させ得たかを明らかにする証拠もない。以上のとおり、スキー場開設がなければ、土石流抑止の点で、積極的効果が生じたか否かがそもそも不明であるし、森林による土石流抑止効果が生じたはずであるといえるとしても、その程度を具体的に確定することはできないから(むしろ多くを期待できないという範囲での認定は可能である。)、スキー場開設がないと仮定して本件土石流への影響を論ずることは不確定要素が多々あるため困難というべきである。したがって、森林の土石流抑止機能等を強調する立場からスキー場開設による森林伐採等が本件土石流の拡大要因となったとする見解は、一面的判断で右のような仮定的議論の困難性に十分配慮したものとはいえないから、にわかに採用し難い。なお、自然科学的見地からは、スキー場開設による森林伐採等がなければ本件土石流が抑止されたといえさえすれば、その効果がいかにわずかであろうと、スキー場開設が土石流の拡大要因となったというべきかもしれないが、本件訴訟において、『拡大要因』となったといえるには、理論的に土石流のエネルギーをごく微量でも増加させたというのでは足りず、定量的表現までは不要としても、災害の規模、内容に明らかに影響を与えたといえるだけのものでなくてはならないというべきところ、本件においては、この点での証明があるとはいえない。」
8 同一八三枚目裏六行目「したとおり、」から七行目「関与したと」までを「説示のとおり約一六五立方メートルないし約六二五立方メートルと推定するほかないが、これが本件土石流により全部流出し、かつ百沢地区にまで到達したと仮定」と改め、九行目「〇・五」の後に「ないし約一・八」を加える。
四 土石流の予知・予防に関する研究について(原判決理由第五)
1 原判決一八七枚目裏一〇行目「にある」の後に「(これが得られても、静的状態についての情報であるから、それだけで直ちに土石流が発生するか否かを判定し得ることにはならないであろう。)」を加え、同一八八枚目表末行「従って、」から同枚目裏一行目末尾までを削り、同一八九枚目表一〇行目「災害の」から末行「重要」までを「阻止対策として設置する構造物の設計荷重算定、すなわち、土石流の衝撃力算定のため有用」と改める。
2 同一九〇枚目表一〇行目「時間」を「時期」と改め、同行目「予測」の後に「(予知)」を加え、同枚目裏九行目「ことから、」から一〇行目末尾「にある」までを削り、同一九一枚目表四行目冒頭から同枚目裏七行目末尾までを次のとおり改める。
「(三) 前記のとおり、多量の水の供給は土石流発生の引き金的因子であり、直接的因子であるが、この水の供給をもたらす誘因は通常降雨であるから、土石流の発生時期の予測は主として降雨条件によるとされる。しかし、土石流発生区域までの降雨水の集水過程を知ることはできないのが現状であることは前記のとおりであるから、理論的裏付けをもって土石流の発生時期を予測することは不可能である。ただ、昭和四〇年代から、過去の土石流資料の統計的解析結果に基づく降雨と土石流の関係についての研究成果が発表されている。この研究は大別して、日雨量、継続雨量等長い時間の降雨量と土石流の関係を対象とするものと一〇分間雨量のように短時間の降雨量を対象とするものに分かれる。前記焼岳の観測資料の解析からは日雨量と土石流発生の相関関係は低いが、時間雨量のような短時間雨量との関係は深い、また、一〇分間雨量のピーク時と土石流発生時刻がよく一致していると報告され、かように短時間の降雨量が土石流と密接に関係するとの見解もあるが、他方、総雨量が少なければ短時間の降雨だけでは土石流は発生しないともいわれている。より具体的には、例えば、焼岳東斜面の観測記録から、一〇分間雨量が七、八ミリメートルを超えると土石流が非常に発生し易いとするもの、昭和四七年度の土砂害(主に土石流的被害)の際の雨量観測記録から、連続雨量が一五〇ミリメートル以上になると土砂害が発生し始め、三〇〇ないし四〇〇ミリメートルの間で発生している例が最も多く、短時間の降雨量との関係では、時間雨量で一〇ミリメートル位から、一〇分間雨量では五ミリメートル位から土砂害発生が顕著に見られるとするもの、昭和四七年度及び昭和四八年度の土砂害(主に土石流を中心とした土砂災害)の際の降雨量の資料に基づき、一般に土石流は降雨が急に激しくなった時等に発生するとされていることに着目し、降雨量が急に変化する時点(変曲点)を見い出して「降雨強度勾配比」なるものを求め、これと土石流発生の関係を解析した結果、一般には降雨強度勾配比と変曲点までの継続雨量によって土砂害発生の危険性の判定が可能であるが、時間雨量が五〇ミリメートルを超えるか継続雨量が二〇〇ミリメートルを超えると土砂害発生の危険性が十分ある、降雨強度勾配比が一〇を超えると変曲点から二、三時間以内に土砂害発生の危険があるとするもの等がある。また、既に昭和四二年の段階で、建設省の関係者が過去の土石流の資料から、降雨と土石流の関係についての分析結果を公表していることは後述のとおりであり、本件災害後の昭和五四年であるが、特定の流域を対象とする土石流警戒避難基準雨量を設定した研究も発表されている。しかし、これらの研究成果がそのままその後土石流避難基準として活用された形跡は余りないが、これは、基礎となった資料が特定地域のものに限定されていること、資料が少ないこと、更に降雨資料が土石流等が発生時だけのもので発生してない時のものが検討されていないこと、これらの研究で呈示された数値について事後的に他の事例で追試するなどしてその信頼性の検証が十分なされていないこと、変曲点を降雨の最中に捉えることが実際上困難であるから、実用性に問題があることなどにその理由があると思料される。
(四) 昭和五四年当時、著名な研究者は、「土石流災害予知に関する研究の現状」と題する論文で次のように述べている(趣意)。いわく「土石流発生の予知はある意味では容易であり、別の見方をすればほとんど不可能である。要するに、予知にどの程度の精度を要求するかによる。災害対策の有効性という点からいえば、満足できる精度の限界というのはない。現在判明している情報は、すべての土石流災害の予知に十分有効とはいえないが、これを適切に活用することによってかなりの災害の防止が可能であろう。そのためには個々の場合、論理的に不確かな部分を実践的に補うことにより現実的な判断を行う必要がある。」とした上、土石流災害予知の基本的考え方を述べ、これに基づいて右(一)ないし(三)で検討したような事項についての研究の現状とこれに対する評価及び今後の研究課題の提案をし、最後に「土石流予知に関する研究は、色々の側面から近年急速に進められてきているが、現象自体の解明についてもまだ問題点が残され、実施調査結果の解析においては、基本的な考え方に検証されていない仮説を含み、また、調査された地域・事例が限られ、任意の地域にこれを適用しようとする場合、数量的な基準を示しうる段階に達していない。しかし、手法としては既に多くの試みがなされ、検証されている事例もあるから、今後かなり急速な発展は期待できる。」と結んでいる。
右は、要するに、それまでの土石流研究の到達水準では予知に十分ではないが、理論的に末解明な部分を経験的資料の蓄積によって補えれば土石流災害の防止がかなり可能であろうが、昭和五四年当時はそこまでに至っていないというものと解される。しかして、右論者は今後急速な発展が期待できるとしたが、その後、論者の示唆したような方向での研究に飛躍的発展は見られていない。ただ、論者のいうように予知は精度(確率)の問題であることは他の研究者からも指摘されているところである(したがって、右論者もいうように予知の目的との関係で、どの程度の精度での予知をもって満足するかは一概にいえないし、予知目的が同一であっても、要求精度について常に一致した見解が得られるものでもないであろう。」)
3 同一九三枚目表三行目末尾の後に「土石流の導流は、土石流を被害のない場所に導いて停止、堆積させるもので、導流堤の設置がこれに当たるが、わが国ではあまり実用化されていない。」を加える。
4 同一九三枚目裏三行目「を予知」を「のすべてを相当の精度で予知」と、七行目「因子」から「程度」までを「定性的因子は判明し、勾配については経験的にある程度数値化もなされていたが、他の因子の理論的、定量的研究はほとんど又は余り進んでいなかった。」と、八行目「を科学的に」から九行目末尾までを「のすべてを相当の精度で予知することは、実地調査の対象となっていた土石流頻発地域の特定の谷等は別として、一般的にはほとんど不可能であり、土石流の発生を防止し、流下を構造物等で阻止することは不可能であった。」とそれぞれ改める。
五 行政の土石流対策について(原判決理由第六)
1 原判決一九四枚目表九行目「乙」の後に「第三号証の一ないし七、」を加え、同枚目裏六行目「第三号証の一ないし七」を削り、九行目「第六〇」の後に「号証の一ないし三、第六二」を、末行「いずれも」の前に「第三〇四号証の一ないし三、」を、同一九五枚目表末行「第三七号証」の後に「、第三八号証」をそれぞれ加え、同枚目裏二行目、三行目の「第五五号証の一ないし五、」を削り、四行目「及び」を「、」と改め、同行目「同水山高久」の後に「及び当審証人松林正義」を加える。
2 同一九六枚目裏一行目末尾の後に改行して次の字句を加える。
「これを法制度との関係から見ると、旧河川法、旧森林法と共に治水三法といわれる砂防法が明治三〇年に制定されたが、同法は砂防に関する最も重要な基本法規であるが、「治水上砂防」、すなわち治水のための砂防を目的として制定されたものであり(一条)、治水による国民の生命等の保全を立法目的に含むといえるとしても、それ自体が直接国民の生命、身体及び財産を危うくする土砂害の防止は本来の立法目的ではなかった。しかし、砂防法に基づき砂防事業を実施する行政庁(戦後は建設省)は、右のとおり、地すべり等緩速度での土砂移動や崖崩れ等急激に落下する土砂による災害のように治水とは直接関係のない土砂そのものがもたらす災害に対しても、「治水上砂防」の概念を拡張するなどして、これに対処しようとしてきた。その結果、これら治水目的と必ずしも直結しない砂防事業についてもその重要性に鑑みて法的根拠を与え、かつその制度を整備するため、昭和三三年には、地すべり及びぼた山の崩壊を防止することにより、土砂の生産、流出を防止して、国土の保全と民生の安定に資することを目的とする「地すべり等防止法」が制定され、昭和四四年には、急傾斜地の崩壊による災害から国民の生命を保護するため、急傾斜地の崩壊を防止し、及びその崩壊に対しての警戒避難体制を整備する等の措置を講じ、もって民生の安定と国土の保全に資することを目的とする「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」(以下「急傾斜地法」という。)が制定された(右二法とも、最終的には民生の安定と国土の保全を目的とするという点では同一であるが、地すべり等防止法では国民の生命保護が目的として明定されておらず、また、これを直接目的とすると解される方策についての規定もないのに対し、後に制定された急傾斜地法では、国民の生命保護が正面からうたわれている(一条)。)。ところで、このようにして、立法の上でも、砂防法が本来予定していない治水のため以外の砂防や土砂災害防止を目的とする法律が制定されてきたが、土石流災害の防止を目的とする法律は現在に至るも制定されていないし、河川法、森林法等他にも砂防をも目的とする種々の措置を定めた法律は存在するが、土石流対策を直接の目的とする措置を定めた法律はない。」
3 同一九六枚目裏六行目末尾の後に「もっとも、昭和三三年建設省が策定し、昭和五一年に改訂されるまで使用された河川及び砂防事業関係の調査、計画、施工等の基準として必要な技術的諸事項を示す「建設省河川砂防技術基準」には、土石流に対する工法として、適当な箇所を選んで貯砂用の高ダムを計画して土石流の流下を阻止して下流の被害を軽減することを考えなければならない旨の記載等があり、これによれば、建設省は昭和三〇年代から土石流による災害防止を直接目的とした対策を講じようとしていたやにも見られるが、実際にこれがなされた形跡はない(原審証人松下忠洋の証言によれば、当時の国の建設行政の担当者は、あくまで治水上砂防の観点から土石流も土砂の供給源である自然現象の一つと捉えて通常の砂防工事を実施する中で土石流による人命被害等の防止効果も副次的に生ずると考えていたことが窺える。)。」を加える。
4 同一九九枚目表一〇行目末尾の後に改行して次の字句を加える。
「右調査要領とともに、「参考事項」として、土石流又は山腹崩壊と地形、地質等との関係を記載した書面が配付された。これには、「豪雨による崩壊例は山腹傾斜角が二五度を越えると急激に増加し、四〇度ないし四五度付近が最も多い。」、「起伏量比が大きい場合、岸錐のある場合、河道堆積量が多い場合に土石流発生の危険性が高い。」、「断層、破砕帯、火山噴出物堆積地帯等は山地の崩壊、土石流発生の危険性が大きい。」等の趣旨の記載がある。
ところで、その経緯は不明だが、実際の調査事項は右と若干異なるものとなり、①地形については、流域面積、流路延長、最高標高、最低標高、流域平均勾配、岸錐の多寡、河道状況の多寡、地形概要、②地質については、岩石の種類、風化状況、その他の特徴、③土壌については右調査要領記載事項と同じ、④その他として、右調査要領記載の事項のほか、過去の土石流発生の有無と状況、⑤保全対象地域の現況については、人家戸数、公共建物の種類・数、公共施設の種類・数、その他の各事項について所定の調査表に記載して報告するものとされ、その調査表記載要領には、流域平均勾配の計算方法、「河道状況の多寡」なるものの基準(河岸及び河床に殆ど岩盤が見られない場合はAとし、所々に岩盤が露出している場合をBとするなど)、「地形概要」の記載方法(谷の開析が進み地形の急峻な場合はA、その他の場合はBと記載」等についての説明がある。
(三) 追加調査
建設省は、昭和四二年二月ころ、各都道府県に対し、右調査によって把握された土石流発生危険区域を型式と保全対象人家戸数の二点から形式分類する追加調査を指示した。型式分類は、後に例示するような分類基準に基づき、河道の堆積状況と流域平均勾配により一次分類を、地形と地質により二次分類をそれぞれして、その結果を所定の方法で組み合わせて土石流発生危険区域を甲、乙、丙の三つの型に分類するものであり、右分類基準から各型の特徴を整理すると、甲型は、渓床に堆積土砂が極めて多いもの又は地質的にみた山地の状況が崩壊を起こし易く、かつその地形が急峻なもの、乙型は、渓床に堆積土砂が比較的多いもの又は地質的にみた山地の状況は崩壊を起こし易いが、その地形が比較的緩やかなもの、丙型は、渓床に堆積土砂が比較的少ないもの又は地質的にみた山地の状況は比較的崩壊を起こしにくく、かつその地形が比較的緩やかなものとなる。追加調査に際しては、建設省から各都道府県に対し、例えば、「渓床の堆積土砂の多寡」について、「極めて多い」、「比較的多い」、「比較的少ない」の三分類の具体的判断基準(渓床における堆積土砂が渓流全体にわたり一メートル以上のものを「極めて多い」とする等)、崩壊を起こし易い地質と比較的起こしにくい地質の具体例等の型式分類基準と分類結果の組み合わせ方法が指示された(これに反する原審証人竹谷兄一の証言は採用しない。)。また、保全対象人家戸数による分類の基準は、右戸数が五ないし九戸ある区域を①型、一〇ないし二九戸ある区域を②型、三〇ないし四九戸ある区域を③型、五〇戸以上ある区域を④型とするものであった。」
5 同一九九枚目裏八行目「昭和」から同二〇〇枚目裏三行目「分類の」までを「昭和四二年五月ころまでに建設省で集計され、その結果、土石流発生危険区域として全国で一万五六四五渓流が把握され、これを右形式分類した」と改める。
6 同二〇一枚目表五行目「することとし、」を「して災害対策基本法に基づく地域防災計画の一環として防災措置の万全を期するものとし、」と、六行目「土石流発生の危険順位としての甲乙丙の分類」を「甲乙丙の分類は「土石流発生の危険順位」であり「過去の実例によれば土石流の発生頻度及び規模等を示すものと思考される」として、これらの型式分類」と改め、七行目末尾の後に「また、各都道府県の砂防担当者に配布された右文書中には、参考資料として「土石流と降雨量の関係」と題する建設省の担当者作成の書面がある。これには、過去の土石流災害六九例の降雨資料を分析し、その結果から、①「前日までの連続降雨量が一〇〇ミリメートル以上あった場合、当日の日雨量が一〇〇ミリメートルを越したとき土石流が発生している。ただし、日雨量の後半に四〇ミリメートル以上の時雨量があり、このとき土石流が発生している。」、②「前日までの連続降雨量が四〇ないし一〇〇ミリメートルあった場合、当日の日雨量が一六〇ミリメートルを越した場合に土石流が発生している。ただし、日雨量の後半に三〇ミリメートル以上の時雨量があり、この時土石流が発生している。」、③「前日までに降雨がない場合、当日の日雨量が一四〇ミリメートルを越した場合に土石流が発生している。ただし、日雨量の後半に四〇ミリメートル以上の時雨量があり、この時土石流が発生している。」と記載されているほか、土石流に対する注意警報例として、①「前日までの連続雨量が一〇〇ミリメートル以上あった場合、当日の日雨量が五〇ミリメートルを越えたときに注意報発令、当日の日雨量が五〇ミリメートルを越え、かつ時雨量三〇ミリメートル程度の強雨が降り始めたときに警報発令」、②「前日までの連続雨量が四〇ないし一〇〇ミリメートルあった場合、当日の日雨量一〇〇ミリメートルを越えたときに注意報発令、当日の日雨量が一五〇ミリメートルを越え、かつ時雨量三〇ミリメートル程度の強雨が降り始めたときに警報発令」、③「前日までの降雨がない場合、当日の日雨量が一〇〇ミリメートルを越えたときに注意報発令、当日の日雨量が一〇〇ミリメートルを越え、かつ時雨量三〇ミリメートル程度の強雨が降り始めたときに警報発令」との記載がある。ただし、右六九例がすべて土石流災害であるのかについては疑問もあり、他の土砂災害を含んでいる可能性を否定できない。また、その後の建設省の担当者等は、この土石流注意報警報例をそれほど評価しておらず、むしろ、その実用価値に懐疑的判断を下しており、行政庁がこの基準に準拠して土石流発生の注意報警報を発令したことはない。」を加える。
7 同二〇二枚目表六行目冒頭から九行目末尾までを次のとおり改める。
「国(建設省)は、四一年調査の結果のうち、把握された都道府県別の土石流発生危険区域数等は公表したが、各危険区域の型式結果については一般に公表せずに行政庁内部の資料にとどめた(その理由は必ずしも定かでないが、建設省の担当者において型式分類は土石流発生の危険性を示す分類としては科学的にいまだ十分ではないとの認識があり、さらに確たる土石流災害対策もないままこれを公表することは特に甲型に分類された危険区域の住民に徒らに不安感を与えるとの判断からではなかったかと推測される。この点に関し、原審証人松下忠洋、同西田初男、同竹谷兄一及び当審証人松林正義の各証言中には、四一年調査の目的はそもそも仮に我が国のすべての谷で土石流が発生した場合に被害が発生すると予想される場所を把握することにある、あるいは、もっぱらかような保全対象の把握にあり、型式分類も土石流発生の危険性の点からの分類ではなく、土石流対策工事着手の優先順位を決めるための分類であったところ、かような性質の型式分類結果を公表すると、それが即土石流発生の危険性の度合いを示すものと誤解されるおそれがあることから公表が差し控えられたとする部分がある。右のうち、型式分類が主として土石流対策工事の優先順位を決める目的でなされたものであること及び型式分類が土石流発生の危険性を示す分類としては不十分であると認識されていたと推測されることは前記のとおりであり、その限りでは右各証言も首肯できるが、型式分類が土石流発生の危険性と無関係であるとか、四一年調査が単に保全対象の把握を目的としたものであるやにいう点はにわかに左袒できない。もし、四一年調査が保全対象の把握のみを目的とするのであれば型式分類は不要であり、保全対象人家の戸数分類だけすれば足りたはずである。工事の優先順位にしても、保全対象人家戸数の多い順に施行すれば済むはずであり、わざわざ型式分類結果をその順位決定定資料とする必要は認められない。何よりも、右各証人は、前記「土石流発生危険区域調査の成果及び対策について」と題する書面において、甲乙丙の型式分類につき「土石流発生の危険順位」とか「土石流の発生頻度及び規模を示すと思考される」等と記述されている理由を全く説明し得ていない。これらの記述を素直に読むならば、当時の建設省の担当者は、その精度、具体性についての認識は不明であるが、ともかくも右型式分類が土石流発生の危険性の観点からの分類であるとの認識を有していたことは否定できないというべきである。ひっ竟、右各証人は、その後の土石流研究の成果等から四一年調査の調査対象事項及びその調査結果が土石流の発生予知に直ちに結び付かないとの判断から右のような証言をするものと解さざるを得ない。かような事後的判断の当否はひとまず措くとして、それが四一年調査当時の建設省の担当者の認識と一致しないことは右説示のとおりであるから、右各証言を全面的に採用することはできない。)。」
8 同二〇三枚目表一〇行目末尾の後に改行して次の字句を加える。
「その後、国(建設省)は、土石流災害が各地で発生したことから、各都道府県に対し、昭和四四年には土石流発生危険区域の再調査を指示し(その具体的内容及び成果は証拠上定かでない。)、昭和四五年一一月には、「土石流対策全体計画」の作成を指示したが、その作成要領によると、危険渓流を再点検すること、土石流対策として、当該渓流に土石流を扞止する一基から二基の砂防ダムを計画すること等が指示されている。さらに、国(建設省)は昭和四七年に土石流発生危険区域の再調査を実施し(これと右土石流対策全体計画での危険渓流の再点検との関係は不明である。)、その結果、四一年調査以来判明していた分を含めて全国で三万四七四七渓流が危険渓流として把握され、これら危険渓流に対しては、砂防ダム等土石流対策砂防事業が逐次実施されたが、予算上の制約もあってその整備率は昭和五一年度末時点で約九パーセントに留まる。なお、本件災害後の昭和五二年にも土石流発生危険渓流の再点検調査が行われて全国で六万二二七二の危険渓流が把握された。このように、調査を重ねる度に土石流発生危険渓流は増加しているが、これは、それまでの調査で危険渓流として把握されてない渓流で土石流災害が発生する例があったこと、調査事項も次第に変化したこと(右の昭和四四年、昭和四七年及び昭和五二年の各調査の具体的調査事項は不明だが、土石流研究の進歩に伴い調査事項も科学的により有意味で精緻なものに改良されてきたと推測される。)及び調査方法もより的確なものとなったことから、従来調査対象とされてなかった渓流が調査対象となる等調査の範囲自体が拡大され、かつそれまで危険渓流とされてなかった渓流でも危険と判定されるものが出てきたことによると考えられる。」
9 同二〇三枚目裏末行「当者」の後に「約三名」を加え、同二〇四枚目表一行目「当時、」から六行目末尾までを削り、末行末尾の後に次の字句を加える。
「当時の青森県の砂防担当者は土石流についてほとんど知見を有していなかったので、建設省から土石流発生危険区域の抽出やその型式分類のための調査を指示されても勝手が分からずに困惑したが、不明な点は建設省の担当者に問い合わせるなどしながら、まず、五万分の一地形図から保全対象人家のある渓流を見付け出し、そこから作業を進めたが、当時積雪期でもあり、また、調査期間が約三か月間と限定されていたこともあって担当者はほとんど現地調査を行わなかった。地形図からの渓流抽出をした後、具体的にどのような方法で調査作業を進めたのかは、右のとおり担当者がほとんど現地調査をしていないという以外は必ずしも定かでない(この点につき、原審証人西田初男及び同竹谷兄一は、もっぱら五万分の一地形図と担当者の記憶によって調査を進めた旨証言する。しかし、前記認定のとおり、当初の調査事項の中には、岸錐の多寡、河道状況の多寡(岩盤露出の程度)、岩石の種類、風化状況、土壌の種類と深さ、植生の状況等地形図では判断不能な事項があり、さらに型式分類作業のため渓床の堆積土砂の多寡(渓流全体にわたり一メートル以上あるかないか等数値的な把握が要求されていた。)を調査する必要があったが、これも地形図で判定できないことはいうまでもない。また、一〇〇を越える渓流について、これらの事項の調査を約三名の担当者の記憶、知識に基づきなしたとはおよそ信じ難い。なお、右西田証人は、場合により現地の土木事務所の担当者の意見も徴した旨証言するが、どの程度それをしたのか定かでないし、担当者個人の記憶、知識には限界があろうことは右同様である。一般的には、右のような事項を、現地調査以外の方法で明らかにしようとするなら、これら地形、地質に関する既存の調査資料等を利用するしかないように思われるが、青森県の担当者であった右各証人は、かような方法をとったとは証言せずに右説示のとおりにわかに採用し難いような証言しかしておらず、他にこの点を明らかにする証拠もない以上、調査の具体的実施方法は不明というほかなく、さらにいえば、調査事項のすべてについていかなる方法にせよ真実調査といえるだけのことをしたのかさえ疑問となる。もっとも、蔵助沢に限定すると、原審証人竹谷兄一の証言によれば、同証人は蔵助沢の状況について相当知悉する点があったことが窺えるから、蔵助沢の調査結果については同証人の個人的知識がかなり反映したとも推測される。)」
10 同二〇四枚目裏八行目冒頭から一〇行目末尾までを「建設省の担当者から、右調査結果を一切公表しないよう言われたものと理解したため、これを直ちに県下の市町村に伝達することはしなかった。」と改める。
11 同二〇五枚目表一〇行目「過去の」の前に「「土石流発生危険区域調査の成果及び対策」中の参考資料に記載された「土石流に対する注意警報例」、」を加え、末行「土石流予知」から同枚目裏一行目「意味のない」までを削り、同行目「連続雨量」から四行目末尾までを「注意報は、①連続雨量が一五〇ミリメートルを越えたとき、②時間雨量四〇ミリメートルの強雨があったときに発令し(①又は②の場合発令するとの趣旨と考えられるが、①及び②の条件が揃って初めて発令するとの趣旨にも解されないではない。)、警報は、①連続雨量が二〇〇ミリメートルを越えたとき、②時間雨量五〇ミリメートルの強雨があったときに発令する(①又は②の場合なのか①及び②の場合なのか疑義があることは右同様)というものである。」と、同二〇六枚目裏五行目「青森県地域防災計画書」から九行目「確立し得ず、」までを「昭和四二年から本件災害時までに作成された昭和四二年度版、昭和四五年度版及び昭和四八年度版の各「青森県地域防災計画」書(他年度には作成されていない。)に、四一年調査以降の前記各調査で把握された土石流発生危険区域のすべてにつき、「山津波危険区域箇所」として、河川名、位置、保全対象区域の現況及び危険度等を記載して掲載した上、青森県の設定した前記土石流の危険雨量(注意報、警報基準雨量)も掲載し、また、土石流対策として、対策事業の実施(昭和四八年版でもなお簡易雨量計を設置する旨記載されている。)と警戒体制の確立を図る旨記載している。この地域防災計画書は、発行の都度、県下の各市町村に配付された。なお、右地域防災計画書に記載された「危険度」はA、B、Cの三分類からなり、Aは山津波発生の可能性大にして発生した場合の規模の大なるもの、Bは山津波発生の可能性が比較的大にして発生した場合の規模も比較的大なるもの、Cは山津波発生の可能性が小さく発生した場合の規模も小さいものと定義され、A、Bについては、流域平均勾配、渓流の位置、河床堆積物及び岸壁、植生による具体的判定基準が記載されており(Cは、A、B以外のものとされている。)、蔵助沢は危険度Aに分類されている(このA、B、C分類の由来は証拠上不明である。原審証人竹谷兄一の証言によれば、四一年調査の当時から存在していたもので建設省が設定したやにも解されるが、右証言のみでは確たることはいえない。)。右のとおり、警戒体制の確立がうたわれていたが、担当者は、土石流の発生、流動機構等が未解明であるから、警戒避難措置をとるのは実際上無理であると判断し、」とそれぞれ改める。
12 同二〇七枚目表二行目冒頭から末行末尾までを次のとおり改める。
「岩木町(町長及びその補助職員)は、蔵助沢流域が砂防指定地に指定されたことや蔵助沢が土石流発生危険区域とされたことを本件災害の相当前に当然知っていたか、容易に知り得たはずであるが、本件災害発生までに、町民に対し、右砂防指定地指定や蔵助沢が土石流発生危険区域とされたことを周知する手段を特に講ぜず、町の地域防災計画にも土石流対策について記載せず、何らかの土石流対策をしたことも全くない(この点につき、原審証人小寺勇及び同五十嵐重城は、岩木町は、本件災害発生まで、右砂防指定地指定や蔵助沢が土石流発生危険区域と指摘されていることを全く知らなかったやに証言する。しかし、砂防指定地指定がなされると官報告示がなされること(砂防法施行規程一条)、一号及び三号各床固工並びに二号堰堤が砂防施設であることは容易に認識できるはずであるが、砂防法上、砂防指定地以外に砂防施設が設置されることはあり得ないこと(緊張砂防事業を除く。)、四一年調査の結果は前記のとおり直ちに青森県から伝達されていないが、岩木町にも配付された昭和四二年版以降の青森県地域防災計画書には前記のとおり蔵助沢が山津波(土石流)危険箇所として明記されていることに照らすと、右各証言はにわかに措信し難く、仮にその証言が事実だとしても、右砂防指定地指定や蔵助沢が土石流発生危険区域とされたことは容易に知り得たはずであり、これを知らなかったというのは行政庁としていささか怠慢であるといわれてもやむを得ないであろう。)。」
第三被控訴人国の責任
以下、前記の認定事実及び説示の諸点に基づき被控訴人らの責任について順次判断する。まず、被控訴人国の責任について検討する。
一 砂防に関する行政上の指導監督義務違反の有無について
1 控訴人は、①「被控訴人国(建設大臣)は、砂防法二条、四条ないし六条、二九条、三〇条等の諸規定に基づき、土砂害の防止、軽減のため砂防指定地に関して、砂防事業が円滑かつ適切になされるよう都道府県知事を指導監督し、場合によっては自ら砂防事業を実施する権限を有し、義務がある。」、②「蔵助沢流域のうち、標高二七五メートル付近から上流一七〇〇メートルの区域は砂防指定地に指定され、さらに四一年調査で土石流発生危険区域の甲型と指摘されたから、蔵助沢は土石流発生の危険にさらされていたのであって、被控訴人国はそのことを十分認識、予見していた。」、③「被控訴人国は、土石流に対処するため、被控訴人青森県に対し、砂防指定地である蔵助沢の維持管理に関し、山腹の崩壊、川底堆積物の調査、監視をきめ細かにして沢のその時々の状況を把握するよう強く指示ないし指導し、砂防工事に関し、砂防設備の設置、維持、管理について指導、指示、あるいは勧告し、更には自らそれらの設備の機能を十分調査し、不十分なときはその機能の回復又は設備の増設等を指示ないし指導勧告すべき義務並びに被控訴人青森県において右各措置をとることが困難なときは、自らそれをなすべき義務があった。」、④「しかるに、四一年調査以後、本件災害まで、被控訴人青森県による蔵助沢の状況把握のための定期的調査、監視はなされていないし、被控訴人国が、同青森県に対して右調査、監視を指示ないし指導したり、報告を求めたことはないし、自ら調査したこともない。砂防工事としては、一号ないし三号堰堤を設置したのみであるが、これらは百沢スキー場を守るために設置された疑いがあり、そうでないとしても、土石流阻止及び抑止機能が全くないか不十分であり、そのことは被控訴人国及び同青森県も十分認識していたにも拘らず、被控訴人国は、砂防工事について新たな砂防設備の築造等の指導、勧告、助言をしてないし、自ら工事を実施することがなかった。」、⑤「被控訴人国が、右権限に基づき右措置をとっていれば、避難対策等も十分なし得、本件災害の発生を防止ないし被害を最小限度に抑えられた。建設大臣の右不作為は、職務上の過失に該当する違法なものである。」旨主張する。
2 砂防法は、建設大臣が砂防指定地の指定をなし(二条)、都道府県知事(同法にいう「地方行政庁」とは都道府県知事をいう。)は、その都道府県の行政区域内における砂防指定地を監視し、砂防設備を管理し、その工事を施行し、その維持をする義務がある旨(五条)、砂防設備につきその工事が至難で高度の技術を要する場合、その工事費が多額の場合等一定の場合には、建設大臣が直轄により砂防設備を管理し、その工事を施行し、またはその維持をなすことができる旨(六条)、建設大臣は、砂防行政を監督する旨(三二条一項)、建設大臣は、都道府県知事に対し、同法五条等により機関委任事務として都道府県知事がなすべき砂防工事の施行等につき、職務執行命令権を有する旨(三四条)規定する。右によれば、砂防法は、砂防事業を国の事務とした上、砂防指定地の監視、砂防工事、砂防設備の維持、管理は機関委任事務として都道府県知事が行なうのを原則とし、ただ、一定の場合に限って砂防工事等を建設大臣が直轄で行なうことができるものとし、砂防行政について、都道府県知事に対する職務執行命令権等の建設大臣の指揮監督権を認めているものといえるが、建設大臣に対し、都道府県知事に対する右指揮監督権や職務執行命令権の行使及び一定の場合、直轄で砂防工事等をなすことを当然に義務付けているとはいえず、これら権限を行使するか否か、いかなる態様で行使するかを建設大臣の裁量に委ねたものと解される。したがって、建設大臣の右各権限不行使が、国賠法一条一項の適用上、当然に違法と評価されることはないというべきである。しかし、このように法令上公務員に対し、ある権限が付与されている場合、具体的事情の下において、当該公務員がその権限を行使しないことが著しく不合理であって、いわばその裁量権の消極的濫用ともいうべき場合には、個別国民又は住民に対する関係で当該権限を行使すべき義務の不履行として、国賠法一条一項の適用上、当該不作為が違法と評価されることがあるものと解するのが相当である。そして、個別国民又は住民の生命、身体等の法益に対する侵害が問題とされるとき、どんな場合に右にいう権限の不行使が著しく不合理であるというべきかは、授権規範の趣旨、目的に照らし、生命、身体等法益侵害の危険性についての予見可能性、結果回避可能性等に関する諸事情を個別的事案の内容と期待される行為の内容に応じて判断すべきものと解すべきである。
3 そこで、まず授権規範である砂防法の趣旨、目的につき考えてみると、砂防法は、元来は個々の国民の生命、身体等の保護を直接の立法目的とするものではなく、治水上砂防という公益実現のために制定されたものと解され、したがって、建設大臣の都道府県知事に対する前記各権限も、概ね行政組織内部における上級行政機関の下級行政機関に対する一般的な指揮監督権の範囲内のものとして、直轄工事等をなす権限とともに右の意味での砂防行政の統一的遂行を図るべく付与されたものと解される。もっとも、行政機関が、砂防法の規定する事務を遂行することにより一般国民の受ける利益が単なる事実上の利益又は反射的利益に過ぎないものと言えるか断定し難いものがあるほか、土石流による災害防止のため砂防工事をすることが治水上砂防にも資する場合が多いので、土石流対策を目的とする法律のない現行法体系の下では、砂防法に基づき砂防行政を司る行政機関が私権との適正な調整を図りつつ、土石流対策事業を推進することが期待されているのであり、それが砂防法の趣旨、目的を逸脱した行政作用とまでは言えないものと考えられる。
そうすると、建設大臣が、土石流による災害防止のため前記各権限を行使することは、砂防法の趣旨、目的を逸脱するものではないが、同法の立法目的に照らせば、同法は建設大臣による右のような目的での積極的な権限行使を予定しているとはいえないというほかない。
次に、本件災害の予見可能性について検討する。この点につき、土石流又は土石流災害の予見可能性を論ずる場合、控訴人は、具体的危険性の予見は必要でなく、蓋然的危険性の存在(その予見)又はある種の危機が絶無であるとして無視できないという程度の危惧感で足りる旨主張するのに対し、被控訴人らは、具体的危険性の予見が必要である旨主張する。しかし、一般論としてこれらの見解のいずれが正当かを論ずることは実益に乏しいと考える。すなわち、控訴人のいう蓋然的危険性が抽象的危険性とほぼ同義であるとすると、やはり控訴人の主張する危惧感説と極めて接近したものとなり、抽象的危険又は危惧感という意味では、土石流研究の現在の到達水準によっても、我が国のほとんどすべての谷が土石流発生の危険性を有しているといわざるを得なくなり、予見可能性は作為義務導出のための基準としての意味をなさなくなる。土石流災害のように自然現象に起因する災害の防止について公務員の不作為の責任を問題とする場合にあっては、かような見解は採り得ない。また、被控訴人らのいう具体的危険性も、特定の谷に特定の日時又は条件具備の際に土石流又は土石流災害が発生し、かつその被害域が特定の地域に及ぶ危険性が一〇〇パーセントの確率で存在することを意味するなら、およそかかる危険性の予見は不可能であろうから、いかなる土石流災害についても公務員の不作為が問責される余地もなくなるが、これまた、容易に承認し難い見解といわざるを得ない。しかし、控訴人のいう蓋然的危険性は、単なる抽象的危険性ではなく、ある程度の確率での危険性をいうものとも解されるし、被控訴人らのいう具体的危険性も右のような意味での一〇〇パーセントの確率までいうものではないとすると、これも結局確率論に帰着するが、どの程度の確率をもって蓋然的危険又は具体的危険というかは定かでなく、具体的数値で両説を判然と区別することはできない。以上の点からすると、控訴人及び被控訴人らのいう蓋然的危険性や具体的危険性という判断基準は具体的適用の場面になるとそれほど明確性を有するとはいえないから、いずれの判断基準が相当かを一般論として敢えて決する必要もないと考える。また、土石流そのものの発生機序が科学的に解明されていないし、さらに崩壊土砂直進型の土石流の発生原因である山腹崩壊の発生機序についても科学的に十分解明されているとはいえないことは前記認定のとおりであるが、これらが完全に解明し尽くされない限りいかなる防災対策も不可能とはいえないから、これらの機序の解明を予見可能性の絶対的要件とするのも相当ではない。先にも触れたが、およそ災害の予知は究極的には災害防止を目的とするものではあるが、何を予知(予見)の対象とし、いかなる精度での予知を求めるかは、予知を必要とする具体的な目的によって異なるものとなり得る。予知の前提として、土石流の発生機序、流動形態、堆積・停止の機序・形態等につきいかなる知見を要するかについても同様のことがいえる。例えば、構造物の設置により土石流に対処する場合、期待する効果を高めるほど、正比例的に土石流の流動形態、衝撃力等につきより正確な知見に基づく精度の高い予知が必要となるが、土石流の発生時期の予知は通常それほど重要ではないであろうし(いつの時点で構造物を設置するか、設置の優先順位をどうするかの場面では時期の予知は重要であろうが、一旦ある場所に設置すると決定した後でいかなる構造物を設置するかの場面では発生時期は余り問題とならないであろう。)、警戒、避難という点からは、土石流の発生機序の理論的解明や衝撃力等についての知見や予知は余り重要ではないが、時期(発生条件)の予知は精度的にどの程度のものを要求するかは別として不可欠である。さらに、ここでの予見可能性は、法令に明文規定がない場合における公務員の作為義務の有無を左右する法的判断事項であり、自然科学(災害科学を含む。)上の予見可能性とも、行政庁が土石流対策事業を進める上での目安となる予見可能性とも全く同一のものではない。以上の点に鑑みて、ここでの予見可能性は、具体的事案の下で、他の諸事情との関係で個別に判断すべきものであるが、少なくとも、当時の土石流の理論的、経験的(統計的)研究水準に照らして、何らかの災害回避措置(特に、作為義務の内容として主張されている具体的作為)を要すると判断されるだけの危険の予測可能性は必要と解する。ところで、一般に土石流災害発生の予知(予見)には、土石流の発生場所、時期、規模の予測が必要であることは前記のとおりである。しかし、蔵助沢についていう限り、保全対象としては百沢スキー場と百沢地区が考えられるが、本件災害の被害を受けた百沢地区は蔵助沢の流域にあり、土石流が渓流に沿って流下することは特に異例とは考えられず、現に、本件土石流も概ね蔵助沢の河道沿いに流下して百沢地区を襲ったものであり、それが現在の研究水準によっても、通常考えられない経路を流下して百沢地区にまで至ったものとは認められない。もとより、蔵助沢に土石流が発生しても百沢地区にまで到達しない場合もあり得るであろうが、百沢地区の位置関係、蔵助沢の勾配等の点からすれば、土石流が百沢地区に到達する可能性は低くはないものというべく、したがって、災害対策の見地からは、蔵助沢に発生した土石流は百沢地区に到達する可能性が十分あることを前提にして差し支えないというべきであるから、本件の場合は規模(被害域)についての予測は殊更論ずるまでもないと考える。場所についての予測につき、控訴人は、まず蔵助沢流域が砂防指定地に指定されたことを予測可能性の根拠とするが、前記認定の右砂防指定地指定がなされた経緯及び砂防法二条が規定する砂防指定地の意義(控訴人は、砂防指定地は即土砂害のおそれのある土地であるかにいうが、砂防法一条、二条に照らして採用できない。)に鑑みると、砂防指定地指定がなされたことから、直ちに蔵助沢に土石流発生の危険性があることについての予測が可能であったというのは困難である。控訴人は、さらに四一年調査の結果、蔵助沢が甲型と指摘されたことを予測可能性の根拠に挙げる。確かに、四一年調査の当初調査事項及び型式分類のための追加調査事項には調査者の主観的判断によらざるを得ないものもあるが、相当部分は、数値的な基準又は定性的事項でもかなり具体的な判断基準が示されているから、調査事項及び調査基準が客観性に欠けるとは直ちにいい難い。また、その調査事項及び調査基準は相当詳細であることからすると、建設省の担当者は、西湖災害後、短い期間ではあるが、それなりに当時の土石流研究の成果を検討して右調査事項等を決定したものと推測されるし、現在の研究水準からすると、右調査事項及び調査基準が土石流の発生場所予測のため全く無意義又は誤謬であることを認めるべき証拠もない。したがって、四一年調査における調査事項及び調査基準を土石流の発生場所の予測の点から一概に過少評価すべきではなく、調査事項全般について調査基準を忠実に適用した調査がなされたなら、その結果はある程度尊重に値するものといえる。しかし、調査事項の中には現地調査によらなければ正確な調査ができないものが少なくないのに、冬季にかかる時期で、積雪地帯では現地調査が困難なことも当然予測できたはずであるにも拘らず、しかも、わずか三か月という短期間で(追加調査の期間を含めても約五か月間である。)各都道府県に調査を求めたことにはそもそも無理があったというほかない。したがって、前記のとおり、被控訴人青森県においても、まず地形図から保全対象のある渓流を抽出したこと及び現地調査はほとんどしなかったという以外は具体的調査方法が定かでなく、調査事項全般について調査基準に従った調査がなされていない疑いがあるが、これについてはやむを得ない点も多いといえる。そうすると、四一年調査の結果、蔵助沢は最も土石流発生の危険度が高いとされる甲型に分類されているが、地形図から容易に判読できる事項以外の調査事項についての調査結果の正確性は疑わしい。調査をとりまとめた建設省の担当者は、例えば、青森県において具体的にいかなる方法で調査したかの認識はなかったとしても、調査内容及び調査期間に照らして各都道府県から報告された調査結果の信頼性、正確性がそれ程高くないことは容易に推察したものと考えられる(このことも型式分類結果の公表を控えさせた一因と推測される。)。したがって、四一年調査を契機に、控訴人国は、蔵助沢で土石流発生の危険性があると認識したか、その疑いを持ったであろうが、その危険性が高いと認識し、またはそのことを予測し得たということはできない。その後、昭和四四年及び昭和四七年にも全国的に土石流発生危険区域の再調査が実施されているが、その具体的内容は不明であり、これら再調査の結果、被控訴人国が、蔵助沢につき土石流発生の危険が高いことを認識し又はその予測が可能となったことを認めるべき証拠はない。次に、時期の予測可能性については、砂防指定地の監視、砂防設備の維持管理との関係でいうなら、土石流発生の具体的日時の予測ではなく、もっぱら土石流発生の引き金因子(誘因)となる降雨条件についての予測として捉えるのが相当である。すなわち、問題となる土石流災害発生前に、当該場所において、ある条件の降雨があると土石流が発生すること(誘因となる降雨「条件」の予測)及びそのある条件の降雨が発生すること(降雨「発生」の予測)の二点が予測の対象となる。この点については、本件災害前に、過去の土石流又は土砂災害の際の降雨資料の統計的解析から、降雨と土石流の関係についての研究成果がかなり発表されているが、それはある特定の地域を対象としたものであったり、複数の地域の資料を基礎とするものでは結論が一致しておらず(具体的数値の問題以前に、短期間の雨量と総雨量のいずれを重視するか、あるいは、雨量強度を重視するのか等についても定説といえるものがない。)、また、四一年調査の際、建設省も参考資料として過去の資料の分析結果を配付しているが、これも他の研究成果と結論が一致しているわけではなく、これらの研究等がその後避難基準として活用された形跡がないことは前記のとおりであり、もとより、過去の土石流発生時の資料のない蔵助沢について土石流発生の危険降雨量の研究はない。したがって、本件災害前に、蔵助沢に限定せずより広い範囲を対象としても、土石流発生の危険降雨量(又は降雨状況)の数値につき定説的見解は存在しなかった。ただ、これらの研究成果等を利用し、かなり幅を持って、あるいは各研究成果等で危険とされる数値のうちの最小値をとる等して危険降雨量(又は降雨状況)を数値的に表現することも可能であったかもしれないが、その精度は当然かなり低下するものとなろう(全く定量的評価なしに、単に降雨があれば土石流発生の危険があるというのでは、前述した抽象的危険性をいうに過ぎず、予見可能性の判断基準としては無意味で採用できない。)。例えば、岩木山では過去に時間雨量約四七ミリメートルとか約六四ミリメートルというかなりの強雨が観測されているが、これらは、右のようにして把握される安全値的な短時間の危険降雨量を超過するとも評価できるから、蔵助沢ほか岩木山の渓流では土石流発生の危険性が高い強雨があること(研究成果では先行降雨量も重視されることがあるが、その危険雨量も岩木山では一〇〇年確率でも生起しないような多量のものではないと考えられる。)は十分予測できたといえなくもない。しかし、岩木山では本件災害前には土石流災害の記録はないから、右のような強雨があっても実際には土石流、少なくとも災害を起こす土石流は容易に発生しないものというべく、したがって、右のような危険降雨量の精度が高いとはいい難いことになる。してみると、蔵助沢は、場所的に土石流発生の危険性を有しているが、特にそれが高いとはいえず、土石流の引き金となる降雨条件の予測については危険降雨量の判定基準は存在していたが、蔵助沢に適用を試みると、その精度は高くなかったというほかない。
次に、控訴人主張の不作為のうち、砂防指定地の監視についてであるが、本件の場合、蔵助沢流域の砂防指定地の山腹崩壊、河床堆積物の状況等について丹念に調査していたなら、他のより直接的な災害対策の契機を与え得たかも疑問である。すなわち、まず、昭和四一年の砂防指定地指定から本件災害時までの蔵助沢の河床、渓岸の状況、それがいかに変化したかを明らかにする証拠がない。また、河床(谷底)堆積物の存在、山腹崩壊地や渓岸の崩落部分の存在は定性的な土石流発生、拡大の因子ではあるが、土石流発生の危険性との関係を定量的に示すことはできないから、堆積物や崩壊地につき何らかの変化が見られたとしても、当時の土石流に対する知見の水準から見てそれを土石流発生の危険性といかに結び付けるかは極めて困難な判断であったと考えられる。また、控訴人は、砂防設備の維持管理、設置についても作為義務の存在を主張するところ、確かに、土石流対策の構造物としては二号堰堤が築造されただけであることは前記のとおりである(控訴人は、一号及び三号各床固工についても言及するが、これらは砂防設備ではあるが、土石流対策とは無関係に設置されたものであるから、考慮の対象とならない。)。しかして、控訴人は、二号堰堤は、その設置位置、本件土石流の際、同堰堤で抑止した土砂量を根拠に同堰堤は土石流対策として不備があった旨主張する。しかし、前記認定のとおり、二号堰堤は、四一年調査の結果把握された危険区域に従来の砂防ダムを参考にして概ね谷の出口付近に高さ一〇メートル程度の一基の堰堤を設置するとの方針に基づき、谷の出口付近で、岩盤が露出し基礎がしっかりした地点に本体の高さ約一一・六メートルの堰堤として設置されたものであり、その設置位置が不相当とは認められない。また、前記認定事実によれば、二号堰堤は、本件土石流発生当時、計画貯砂量の約三分の一ないし約五分の一が堆砂していたところ、本件土石流により流下してきた土砂の約五〇パーセント前後を抑止(堆積)させたことが認められるが、本件災害前においては土石流の流動形態の科学的、理論的解明も土石流の衝撃力の算定もなされていなかったことから、本格的な土石流対策の堰堤を設計するほど技術力が進歩しておらず、したがって、従来の砂防ダムを参考にして堰堤を設置するとの方針が出されたものと解されることからすると、二号堰堤が高さの点で不備があったとはいえない。土石流対策という点からすれば、堰堤は常に堆砂のない状態にするのが望ましいのであろうが、そのためには貯留した土砂石の除去作業及びそのための道路の設置等による財政的負担も生ずるし、本件の場合、計画貯砂量の半分以下の堆砂状態であったにとどまるから、維持管理の不備とまではいい難い。また、四一年調査で全国で一万五〇〇〇を越える区域が土石流発生危険区域として把握されたことからすれば、その調査の信頼性に疑問があってもこれに代わるものもなく、確度の高い再調査は技術的にも予算的にも容易になし得るものではなかったであろうから、取りあえずこの調査結果に基づき、各危険区域に一基ずつ堰堤を設置するものとし、その後、一基の堰堤が設置された渓流には新たな堰堤等を設置しないとした所管行政庁の方針も、危険区域の数(昭和四七年の前記調査では更に倍増している。)及び予算上の制約を考慮すると、やむを得ないものといえる。したがって、予見可能性等他の諸事情を離れても、二号堰堤の維持管理に違法な不作為があったとか、二号堰堤の他に更に堰堤を増設しなかったことが違法であるとはにわかに認め難いのである。
以上、土石流との関連でみた砂防法の趣旨、目的、法益侵害の危険についての予見可能性の程度、控訴人の主張する作為義務の内容と結果回避可能性等の諸事情に鑑みれば、本件災害前のある時点で、建設大臣が控訴人主張のような砂防指定地の監視及び砂防施設の維持管理、設置に関する作為義務を負担していたものとは認められず、したがって同大臣に著しく不合理と認むべき前記各権限の不行使、すなわち違法な不作為があったとすることはできない。
二 蔵助沢周辺保安林の管理義務違反の有無について
蔵助沢周辺保安林の管理義務違反の有無についての当裁判所の判断は、原判決理由説示(原判決二一三枚目裏四行目冒頭から同二一九枚目裏八行目末尾まで)と同一であるから、これを引用する(ただし、原判決二一六枚目表七行目「が、前記」から同枚目裏三行目末尾までを「。確かに、砂防法一条、二条によれば、砂防指定地であることをもって直ちにその区域(土地)に土砂害発生のおそれがあるとはいえないが、その区域は治水のため土砂の生産、流出を防止する必要のある区域であるはずである。しかし、原審証人竹谷兄一の証言によると、蔵助沢流域が砂防指定地に指定された当時、砂防設備設置のため砂防指定地指定をする場合、設置予定の設備の周辺だけでなく、かなり長い距離にわたる範囲を指定する運用がなされており、かような場合の事前調査は申請予定地全部についての詳細なものではない例が多かったことが窺われることからすると、一号床固工設置のためなされた蔵助沢流域の砂防指定地指定の申請の際も、申請予定の全流域について詳細な事前の現地調査はなされなかった可能性があること、一号及び三号各床固工の設置場所は右保安林指定のなされていた地域からそれぞれ約四五〇メートル及び約五〇〇メートル下流であるから、右各床固工設置当時、各設置場所において土砂の生産、流出が見られたとしても、そのことから右保安林指定地も同様であったとは推定できないこと、二号堰堤は土石流対策目的で設置されたもので、その設置位置付近での土砂の生産、流出防止を目的とするものではないことに照らすと、右保安林解除後も解除前の保安林指定地において、土砂流出の危険性が継続していたと推認することはできない。」と改める。)。
三 降水量観測の不実施について
1 控訴人は、①「被控訴人国(内閣総理大臣)は、災害対策基本法(以下「災対法」という。)三条により災害予防の総括責任者として、気象業務法により気象、地象、水象を予報し、警報する権限を有する運輪大臣又は地方公共団体に対し、災害予防のために適切な降水量観測を実施するよう指導、助言する権限を有する。」、②被控訴人国は、四一年調査により、蔵助沢が土石流発生の危険性が極めて高い場所で、土石流災害発生の蓋然性が高い渓流であることを認識していた。」、③「多量の水の供給が土石流発生の最大の因子であるから、土石流発生の予知には、渓流に流入する降水量の観測が不可欠であり、したがって、土石流発生の危険性のある渓流では、流入する降水量を常時測定するための観測体制が整備され、適切な予報発令システムが確立されなければならない。」、④「降水量観測の必要性は、一方において、普段からその渓流に集中する水量を測定することによって崩壊し易い渓床や谷腹を補強整備し、あるいは水量調節のためのダムを築設し、降水の急激な流入防止のため流域の森林保全、植生安定を図る等土石流発生を未然に防止することにあり、他方において、山腹崩壊及びこれによる土石流発生の危険を予知し、その危険性を住民に対して伝達し、土石流災害を回避することにある。」、⑤「右②ないし④によれば、被控訴人国の降水量観測権限は同被控訴人の裁量ではなく義務化した。」、⑥「被控訴人国が降水量の継続的観測をしていれば、本件土石流の発生を予知できたはずである。しかるに、被控訴人国が、右①の権限を行使しなかったのは作為義務に反する違法な不作為である。」旨主張する。
2 控訴人は、被控訴人国(内閣総理大臣)は、災対法三条により、運輸大臣又は地方公共団体に対し、災害予防のため降水量観測を実施するよう指導、助言する権限を有する旨主張するが(前記①)、災対法三条一項及び二項は防災に関する国の基本的責務を規定するにとどまり、控訴人主張のような具体的権限を明定するものではなく、いずれにせよ、右各条項は国の政治的責務を定めるものであって個別国民に対する関係での国の法的義務を定めたものではない。また、運輸省設置法、気象業務法によれば、国(運輸省、気象庁)は、気象等の観測権限を有するが、それを義務付けた規定はないし(災対法八条二項四号も訓示規定である。)、土石流対策としての降水量観測を被控訴人国の他の機関又は地方公共団体に義務付けした法令は存在しない。前記認定のとおり、岩木山では昭和三三年から昭和四三年ころまでの間、西麓の黒森山に長期自記雨量計が設置されていたことがあるだけで、時々刻々と降雨状況を把握できるような降水量観測設備が設置されたことはない。しかし、降水量観測の必要性についていう前記④の前段部分、すなわち、渓床、谷腹の補強整備、水量調節ダムの築設、森林保全、植生安定等は一般論としてはともかく本件においてこれらが必要であったことを認めるべき具体的証拠はなく(ただし、森林保全については後述する。)、本件において、降水量観測と土石流災害防止について検討すべきは、前記③と④の後段、すなわち、土石流の警戒、避難体制の確立及び実際の警報等の発令のための降雨量観測の有用性となるが、控訴人が主張するように降水量の観測により土石流の発生の予知が可能であったというには、土石流の引き金因子としての降雨条件が判明している必要があるが、前記のとおり、本件災害前には、高い精度で土石流の発生を予知し得る危険降雨量の設定はなし得ていないから、内閣総理大臣の作為義務違反をいう控訴人の主張は前提を欠き失当ともいえる。しかし、必ずしも高精度の危険降雨量の設定ができなくとも、警戒、避難体制の確立は要請されるとの見解もあり得るし、更に防災対策(警戒、避難体制の確立等)の不実施について被控訴人国の責任が肯定される場合には、降水量の継続的かつ即時通報性のある(リアルタイムでの)観測なくして右防災対策は実効性がないと解されるから、必然的に降水量観測の不実施についても被控訴人国の責任は免ないと解されるので、この点は後記防災対策の不実施の項で再検討する。
四 蔵助沢の管理義務違反の有無について
1 控訴人は、被控訴人国(建設大臣)は、蔵助沢の所有者であり、かつ河川の管理者としての地位にあるから、蔵助沢流域の雨水を集めて安全に下流に流下させるべき管理監督権限を有しているところ、四一年調査で蔵助沢は土石流危険区域とされたから、被控訴人国(建設大臣)は、流路に蓄積する堆積物の除去、谷腹崩壊防止、倒木等障害物の撤去、ダム等構造物の点検の各措置をとるべき義務を負うに至ったのにこれを全く履行せず、かえって、土石流の発生、拡大の要因となった森林伐採、スキー場の開設とそれに伴う流路変更等の違法な作為的所為をした旨主張するので、以下、この点につき判断する。
2 被控訴人国は、同被控訴人(建設大臣)は、普通河川である蔵助沢の管理者、管理義務者でない旨主張する。弁論の全趣旨によれば、蔵助沢は、河川法の適用又は準用のない普通河川で、河川敷は国有であると認められるから、その所管庁は建設省であり(建設省設置法三条七号)、建設省所管国有財産部局長としての都道府県知事が機関委任事務としてその管理者となる(国有財産法九条三項、同法施行令六条二項、建設省所管国有財産取扱規則三条)。右によれば、蔵助沢の法律上の管理権は本来所有者である被控訴人国に帰属すると解される。被控訴人国の主張の趣旨は必ずしも定かでないが、管理が都道府県知事に機関委任されていることから、被控訴人国は管理者、管理義務者ではなく、普通河川の管理に関し国賠法一条一項の責任を負うことはないとの趣旨であれば失当である。都道府県知事が機関委任事務につき故意又は過失により違法行為をなした場合、国賠法一条一項の責任主体となるのは国と解すべきであるからである。
また、被控訴人国の右主張の趣旨は、普通河川につき都道府県知事が機関委任事務としてなすのは財産管理のみであり、機能管理は、国有財産法一条、地方自治法二条二項、同条三項二号、同条六項により、原則として市町村が、例外として都道府県がなすべきものであるから、普通河川の管理に関し国賠法一条一項の責任主体となるのは市町村又は都道府県であり、被控訴人国ではあり得ないというにあるとも解される。しかし、地方公共団体が普通河川の管理に関する条例を定めている場合は別として、右地方自治法の各規定から直ちに地方公共団体がその区域内の普通河川の法律上の管理権を有するものと解することはできない。地方公共団体が、右条例を定めている場合は、被控訴人国の管理権と地方公共団体の管理権が併存するか、地方公共団体のそれが優先すると解されるが、本件の場合、被控訴人岩木町又は同青森県が普通河川の管理に関する条例を定めていることを認めるべき証拠はないから、いずれにせよ被控訴人国の管理権が否定されることはない(この場合、機能管理権も都道府県知事に機関委任されていると解するとしても、前述のとおり、都道府県知事の機能管理に関し国賠法一条一項の責任主体となるのは被控訴人国である。)。
したがって、被控訴人国の右主張は採用できない。
3 そこで、まず、控訴人が主張する河川管理上の被控訴人国の違法な不作為について検討する。前記のとおり、蔵助沢は被控訴人国(所管建設省)の所有であり、その管理権も同被控訴人に帰属するが、管理権の具体的内容を定めた法令は存しない。しかし、被控訴人国が所有者及び管理者である以上、具体的明文規定を俟つまでもなく、同被控訴人の権利、権限の範囲で一定の管理行為をなし得るのは当然ともいうべきところ、控訴人の主張する建設大臣の不作為(機能管理が機関委任事務だとすれば、建設大臣というのを青森県知事と読み替えるべきこととなる。)は、いずれも通常の管理行為の範囲を逸脱するものとは解されない。しかし、控訴人は、なすべき作為の具体的内容として、①流路の堆積物等の除去、②谷腹の崩壊防止措置、③倒木等障害物の撤去及び④ダム等構築物の点検を列挙するが、右①ないし③については、谷底の岩盤上の堆積土砂石をすべて除去し尽くし、わずかでも崩壊の兆候、おそれのある谷腹について崩壊防止工事を施行する等①ないし③の各措置を完壁になすことは(しかも、常時、堆積物や崩壊危険箇所がない状態を維持しようとするなら)、技術的にも財政的にも多大の困難を伴うことは明らかである。また、完壁な措置まで要求するものではないとの趣旨であるとしても、本件災害前の蔵助沢の渓床堆積物、流域の谷腹、倒木等の各状況を詳細に明らかにする証拠はないから、何をどの程度なすべきかを判断する前提事実が把握できない。右④は、これによる土石流災害が直接的に阻止できるものではなく、他の対策の契機を与えるためのものと解されるところ、二号堰堤に堆砂していた土砂石を除去していなかったことが維持管理の不備とはいい難いことは前記説示のとおりである(「点検」というが、本件災害前、二号堰堤に補修を要する損傷等があったことを認めるべき証拠はないから、問題となるのは堆砂状態と思料される。)。控訴人は、結局、四一年調査で蔵助沢が土石流発生危険区域であると判明したとしてそのことだけから、蔵助沢の実際の状況を踏まえることなく、沢一般で考え得る土石流対策のための諸般の方策を網羅的に列挙してこれらをなすべきであったと主張するに過ぎないといわざるを得ないのである。以上の点に予見可能性についての前示説示を合わせ考慮すると、本件災害前のある時点で、建設大臣が、控訴人主張の右のような災害回避措置をすことが必要と判断されるだけの危険を予見し得たとは認め難く、同大臣が控訴人主張の作為義務を負担したとはいえないから、同大臣に違法な不作為があったとは認められない。
4 次に、控訴人の主張する作為による管理義務違反に対する当裁判所の判断は、原判決理由説示(原判決二二一枚目表末行冒頭から同二二三枚目表一行目末尾まで)と同一であるから、これを引用する。
五 防災対策の不実施について
1 控訴人は、①「被控訴人国(内閣総理大臣)は、災対法三条により災害予防の総括責任者として、各地方公共団体に対し、地域防災計画の作成実施を勧告、指導、助言する権限がある。」、②「被控訴人国は、四一年調査により蔵助沢流域が土石流災害発生の危険にさらされていることを十分予見できた。」、③「したがって、右①の権限行使の裁量は後退し、作為義務に転化した。」、④「しかるに、被控訴人国は、被控訴人青森県等に対して十分な勧告、指導、助言をしなかった。」旨主張し、さらにより具体的に、被控訴人国は、同青森県又は同岩木町をして、または自ら、百沢地区の住民に対して、蔵助沢が土石流発生危険区域であることを知らせ、また、土石流に対する警戒、避難体制を確立すべきであった旨主張するやにも解される。
2 災対法三条四項は、指定行政機関の長及び指定地方行政機関の長は、地域防災計画の作成及び実施が円滑に行なわれるように、その所掌事務について、地方公共団体に対し、勧告、指導、助言をし、その他適切な措置をとらなければならない旨定めており、これによれば、指定行政機関の長及び指定地方行政機関の長は、右のような地方公共団体に対する勧告、指導等の権限を有すると解される(控訴人は、内閣総理大臣の権限である旨主張するが、少なくとも第一次的権限は右指定行政機関等の長にある。)。しかして、指定行政機関は、災対法二条三号、昭和三七年七月一一日総理府告示第一九号によれば、総理府、国土庁、農林省(本件災害当時)、運輸省、気象庁、建設省、自治省、消防庁等であり、指定地方行政機関は、災対法二条四号、昭和三七年八月六日総理府告示第二五号によれば、営林局、管区気象台、地方建設局等である。もっとも、控訴人の主張は必ずしも明確でない点があり、国の権限、不作為の内容として、右のとおり地方公共団体に対する地域防災計画の作成実施に関する勧告等をいうだけでなく、より一般的な防災対策についての勧告、指導、助言をいうようでもあり、また、土石流に対する警戒、避難体制の確立、土石流発生危険区域についての住民への情報提供についての地方公共団体(被控訴人青森県及び同岩木町)に対する勧告、指導、助言をいい、さらには、警戒、避難体制の確立や危険情報の提供を被控訴人国自らがなすべきものと主張するようでもある。右のうち、一般的な災害対策についての勧告等をいう点は、被控訴人国の作為義務違反の内容(なすべき結果回避措置の内容)が不明確である。同様に、地域防災計画の作成実施についての勧告等をいう点もいかなる点につきどのような勧告等をすべきであったのか必ずしも明確ではない。控訴人の主張を善解して補充しながら一応整理してみると、論点は、①被控訴人国は、四一年調査の結果及びその後の土石流災害発生状況からして、各地方公共団体における土石流対策事業の実施状況及び地域防災計画における土石流対策の内容等を勘案して、被控訴人青森県に対し、有効、適切な助言、勧告、指導をすべきであったか、②被控訴人国は、同青森県及び同岩木町に対し、土石流に対する警戒、避難体制を確立し、蔵助沢が土石流危険区域であることを百沢地区の住民に周知させるべく、これらの措置をとるよう助言、勧告、指導すべきであったか、③被控訴人国は、自ら右②の警戒、避難体制の確立等の措置をとるべきであったかの三点となる。右①のうち、地域防災計画の作成実施に関する被控訴人国の権限については先に見たとおりであり、その他の防災対策に関する助言等については、被控訴人国の権限としてこれを明定した法令は存在しないが、災対法三条一項、二項がかような権限の根拠規定となり得ると解することができる。右②及び③についても、災対法及び他の法令に、被控訴人国の権限としてこれらを具体的に明定した規定はないが、災対法三条一項、二項により、被控訴人国がこれらの権限を有すると解することが可能であり(右②)、右各条項及び同法八条二項により、その権限を有すると解する余地もある(右③)。いずれの場合も被控訴人国がこれら権限を行使するか否かはその裁量に委ねられており、特に、右③については、災対法及び地方自治法(二条三項八号、同条四項、同条六項一号)によれば、防災について第一次的責務を負うのは市町村又都道府県であり、被控訴人国は、基本的な計画を策定し、また、地方公共団体等各機関の防災行政の総合調整機能を果たすことにその主たる役割があると解されることに十分留意すべきである。
3 地域防災計画作成実施及び防災対策についての勧告、指導、助言(前記2の①)について判断する。控訴人の主張は、本件における指定行政機関又は指定地方行政機関を明確にしておらず、また、被控訴人青森県は、前記のとおり、地域防災計画を作成して蔵助沢が土石流発生危険区域であることをそこに明記した上、土石流発生の危険雨量(注意報、警報基準雨量)を記載し、簡易雨量計の設置を含む土石流対策事業の実施と警戒体制の確立をうたっているほか、《証拠省略》によれば、特に土石流だけを目的とするものではないが、災対法四〇条二項所定の事項についての定めを置いていることが認められるところ、控訴人は、いかなる点で右地域防災計画に不備があるのか明らかにしていない。しかして、右地域防災計画において、内容的に不備、遺漏があることを認めるべき証拠はない。しかし、右地域防災計画では、昭和四八年時点でも簡易雨量計の設置がいわれているが、実際は、四一年調査後の建設省からの指導を受けて昭和四二年ころの一時期に一部で簡易雨量計の設置がなされたが、さして活用されることもなかったこと(もはや、簡易雨量計設置を実施する予定もないのに、昭和四八年当時になっても、以前の地域防災計画の記載を機械的に再掲していたに過ぎないと推測せざるを得ない。)及び土石流に対する警戒、避難体制の確立はなされなかったことは前記のとおりであるから、右地域防災計画が忠実に実施されていたとはいえない。この点につき被控訴人国が同青森県に対して右実施を指導したことを認めるべき証拠はないから、その当否が問題となり得るが、警戒、避難体制の確立については後述することとし、簡易雨量計の設置についても、先に降水量観測の不実施について説示したのと同様の理由により、結局、警戒、避難体制の確立についての判断に帰一する。そうすると、残るのは、土石流対策事業の実施についての被控訴人青森県に対する助言、指導、勧告につき、被控訴人国に違法な不作為があったか否かであるが、控訴人も、具体的にいかなる助言等をすべきであったかを明らかにしておらず、昭和四二年五月一五日付け建設省河川局長による危険降雨量の設定、簡易雨量観測計等の設置と警報避難体制の確立についての行政指導の履行以外に、被控訴人国が同青森県に対して何らかの土石流災害対策上の助言、指導等をすべきであったことを肯定すべき事情を認めるに足りる証拠はない。しかして、右行政指導に対する被控訴人青森県の対応を見ると、危険降雨量の設定はなされており、それは確かに全県一律のもので、右行政指導がいうように各土石流発生危険区域の地域的特性を勘案したものとはいい難いが、前記認定説示の点からすれば、本件災害前、特定の土石流頻発地帯は別として、四一年調査で把握された各土石流発生危険区域の地域的特性まで勘案したと評価できる危険降雨量を設定することは被控訴人国が了知し得た最先端の研究水準によってもほとんど不可能であったというべきであるから(前記のとおり、特定の地域についてでなく、一般的に適用し得るかのようなこの種研究は存在したが、その精度、信頼性は確かなものとはいえなかった。)、被控訴人青森県が県下一律の危険降雨量の設定しかしていなかったことはやむを得ないし、被控訴人国にしてから、各危険区域の特性を勘案した危険降雨量を設定するよう指導、勧告するだけの理論的、技術的力量を持ち合わせていなかったのであるから、本件災害前に、被控訴人国の公務員が右指導、勧告等をなすべき義務を負担したということはできない。右行政指導のうち、残る簡易雨量観測計の設置及び警報避難体制の確立については前同様後述することとなる。
4 次に、土石流発生危険区域であることの危険情報提供及び土石流に対する警戒、避難体制確立に関する被控訴人国の同青森県及び同岩木町に対する助言、勧告、指導義務(前記2の②)についてであるが、まず、危険情報の提供について判断する。
(一) 蔵助沢が場所的にみてそれが特に高いとはいえないまでも、土石流発生の危険性を有していたことは予見可能であったこと、精度は高くはないものの土石流発生の危険降雨量に関する判定基準は存在し、蔵助沢において右危険降雨量程度の降雨のあることが予見可能であったことは前記のとおりであるから、その点では土石流又は土石流災害の予見が可能であったともいえないわけではない。
災対法の前記各規定の趣旨、目的が災害から国民の生命、身体、財産を保護することにあることはいうまでもなく、国民(住民)に対する危険情報の提供は右保護の一つの有効な手段である。
そこで、本件に即して住民に対する危険情報を提供する目的について考察してみると、一般に、自然現象に起因する災害の防止には、構造物の設置等により災害を阻止する方法と危険区域から住民を恒久的に離脱(移転)させ、あるいは危険が迫った際に住民を避難させる方法があり、土石流災害については現在の研究、技術の水準でも、前者の方法による災害の完全防止はほとんど不可能であるから、災害対策としては後者の方法にも目を向けざるを得ない。しかして、当該危険区域からの住民の恒久的離脱は完全な災害防止効果が得られるが、その実施が困難であることは明らかであるから、危険が迫った際の避難が重視される。住民に対する危険情報の提供は、警戒、避難体制確立の前提条件であり、また、警戒、避難体制が確立してない場合やそれが十分機能しない場合には、住民が自主的判断で避難行動をする前提条件となるものと解され、ここから危険情報提供の目的が明らかとなる。実際はこの両者の目的を合わせて危険情報の提供がなされるのであろうが、警戒、避難体制確立の前提条件としての右情報提供については警戒、避難体制確立の一環ともいえるから、これらにつき後記(二)で一括して検討することとし、ここでは、自主的避難の契機としての危険情報提供について考える。確かに、自己の居住する地域が土石流災害の被害を受ける可能性があることを知っていれば、豪雨等の際、警報等がなくとも、自主的に避難する住民がいる可能性がないとはいえないから、住民に対して土石流発生危険区域であることを周知させることはそれ自体被害防止に全く無意味とはいえない。また、その場合、土石流の発生、流動、堆積、停止の機序、過程についての詳細な物理学的説明等の情報提供はほとんど不要かつ無益であろうから、これらの点が未解明であるからといって、住民に危険情報の提供ができないとはいえない。その意味では、危険情報の提供は容易であるやにも考えられる。しかし、ここでいうような住民の自主的避難は実際上ほとんど期待できないであろう。自己の居住する地域が土石流発生危険区域であることを知らされていたとしても、住民が、強雨又は豪雨の度毎に避難するとは容易に想定できず、仮に、かような住民がいたとしても、むしろ例外としか考えられない。このような例外的な場合まで想定して作為義務の有無を論ずるのは相当ではない。また、土石流の一般的性質と当該区域が土石流発生危険区域であることを住民に知らせた場合、当然、住民からはいかなる場合に土石流が発生するのかについて説明を求められるであろう。これに対しては、前記のとおり、かなり幅のある、また精度の高くない降雨条件での発生可能性を説明するほかないと思料されるが、その降雨条件の意義を正確に伝達することは必ずしも容易でないと考えられ、そのような降雨条件が充足されるとあたかもほぼ間違いなく土石流が発生すると誤解されたり、さらには、当該区域が土石流発生危険区域とされたというだけで、今にも土石流が発生するかに受け取られて無用の混乱を引き起こすおそれも懸念される。以上によれば、少なくとも、被控訴人国が、他の有効な土石流災害対策がないままに、百沢地区の住民の自主的避難の契機となることのみを目的として、被控訴人青森県及び同岩木町に対し、蔵助沢が土石流発生危険区域であることを右住民に周知させるよう助言、指導、勧告すべき義務を負担していたとは認め難い。
(二) 警戒、避難体制の確立に関する被控訴人国の助言、勧告、指導義務について判断する。災対法の目的及び予見可能性については前述のとおりであるから再論しない。また、災対法及び地方自治法上、災害防止の第一次的責務を負うのが被控訴人国ではなく市町村又は都道府県であって同被控訴人の助言等は二次的なものとなることもひとまず措き、土石流に対する警戒、避難体制の確立そのものについて検討する。確かに、生命、身体、特に生命という非代替的な絶対的価値を重視すれば、被控訴人国は、その保護のためなし得るあらゆる手段を講ずべきであり、それが実際上効果を発揮する可能性が低い等との事情は考慮する必要はないとの見解もあり得よう。現行法体系が人命を最も優位の価値と位置付けていることは否定すべくもないし、行政機関は、常にそのことを念頭に置いた施策を講ずべきものといえる。土石流災害に対する警戒、避難に即していえば、人命尊重の観点からは、いかに低い確率であろうと、土石流災害発生の危険性がある以上、行政機関は相応の警戒、避難体制を整備し、設定した警戒、避難基準(これも基準に達しない降雨で土石流災害が発生するような事態はあってはならないとの立場に立つなら、たとい、確率(的中率)は低くなろうとも安全値を設定すべきこととなる。)に達した場合は、住民の避難等の措置をとるべきものともいえるかもしれない。さらに、警戒、避難体制の確立という点から見れば、前同様、土石流の発生、流下、堆積、停止等の科学的機序の解明は不可欠ではない。しかしながら、被控訴人国の政治的責務と個別国民に対する法的義務の相違を考慮しないわけにはいかない。すなわち、予見可能性については、前記のとおり、場所的予測はある程度なされていたと評価できるが、土石流発生条件の予測については高い精度の条件設定はなし得ていなかったのであり、このことは蔵助沢でも例外ではない(規模、すなわち、被害域の予測は本件の場合論ずるまでもないとする。)。蔵助沢を対象として警戒、避難体制の確立を考えると、まず、住民に対して蔵助沢が土石流発生危険区域であることを周知させることが先決となろう。現時点での評価は措くとしても、本件災害前、被控訴人国及び同青森県は、百沢地区の住民に対して蔵助沢流域が土石流発生危険区域であることについてどのように説明し得たであろうか。四一年調査の信頼性については前記のとおりであり、被控訴人国が型式分類の公表を控えたことは理解できないわけではなく、証拠上はいかなる調査をしたのかも判然としない被控訴人青森県にあっては、地域防災計画に土石流発生危険区域と危険度を掲載する以外に、特に土石流発生危険区域を住民に周知徹底させる手段を講じなかったのもやむを得ないことともいえる。また、再三述べるとおり、蔵助沢において土石流発生の誘因となる降雨条件については確度の高くない条件設定しかなし得なかったし、過去(有史時代であるとしても、近世以前である。)に発生した土石流の資料も収集されていなかった。また、行政庁として責任をもって土石流災害に対処しようとするなら、本来なら、財産はともかく最低限住民の生命、身体を保護すべく、安全な避難経路と避難場所を掌握、確保し、これをその時々の状況に応じて的確に住民に通報、指示できる体制を作ることが必要であろう。かような場合、被控訴人青森県ほか行政機関としては、土石流発生の確率、時期、安全な避難経路や避難場所等につき、判明している範囲での確実な情報を住民に提供し、かつ、不確かな点、不明な点も率直にそのまま発表し、それらの情報を全体としてどう評価し、自己の行動にどう結び付けるかは個々の住民の判断に委ね、その結果、被害を免れる住民がわずかでも生ずるなら、何らの情報提供もせずに無策でいるより良しとするのも一つの行政判断であるかもしれない(もとより、法的には、公務員が当該作為をしていたならば、被害が回避できたであろうことが証明されない限り、国又は地方公共団体が国賠法一条一項の責任を負担することはなかい。本件でも、この相当因果関係は当然問題となり得るが、本件訴訟の性質に鑑みてこの点は措く。)。しかし、先にも説示したとおり、一応の対応策も示せないままでは徒らに不安をかきたてる可能性があるし、土石流災害の発生が懸念されるような状況では他の土砂害、水害等の発生のおそれがある場合も少なくないであろうから、これらの災害の発生のおそれも十分考慮した上で避難を勧告する時期、避難経路、避難場所を設定するのが行政の在り方であるとの見解も当然あり得るところであるが、本件においてこれらが容易になし得たとは到底考えられない。さらに、先にも認定したとおり、降雨状況と土石流の発生との関係は単純ではないから、一旦、住民を避難させたとしても、行政機関はいつまで避難させておくべきかについても困難な判断を迫られる(生命、身体の安全のみを重視して避難を長期化させることは、住民の日常生活、経済生活に不相当な不利益を与える可能性がある。)。このような土石流災害についての特性を考慮すると、空振りの可能性を承知の上で積極的に土石流の警報、注意報を発令して住民の避難を促すというのも一つの行政の施策かもしれないが、これは政策論としても異論があり得るであろうし、本件の蔵助沢についていう限り、被控訴人青森県をはるかに凌駕していたであろう被控訴人国の知見を前提として考えても、警戒、避難体制確立の困難性は否定し難い。本件災害前、被控訴人らにおいて、この困難性を克服できないまま、不完全でかえって短所の方が問題化しかねないようなものであっても、とにかく警戒、避難体制が必要と判断されるだけの危険性が予見され、またはその予見が可能であったとは認め難い。以上の諸点に鑑みると、警戒、避難体制の確立が青森県知事の個別国民に対する法的義務にまで至っていたと解するのは困難である。そうすると、被控訴人国には、同青森県に対して、百沢地区につき蔵助沢における土石流の発生に備えて警戒、避難体制を確立すべく助言、勧告、指導すべき義務があったとまでは認められないし、まして、防災行政における被控訴人国の役割に照らすと、同被控訴人自らが蔵助沢(百沢地区)における警戒、避難体制を確立すべき義務を負っていたと解することはできない。したがってまた、先に結論を留保した被控訴人国の降水量観測不実施並びに被控訴人青森県に対する簡易雨量計設置並びに警戒、避難体制確立の一環としての危険情報の提供についての助言、指導、勧告不実施がいずれも違法であったとは認められないこととなる。
第四被控訴人青森県の責任
一 砂防指定地の管理義務違反について
1 控訴人は、青森県知事は、蔵助沢流域の砂防指定地につき、砂防上有害な行為の禁止、制限、右指定地の監視、砂防設備の管理、その工事施行、維持をなす権限及び義務があり(砂防法五条)、また、砂防指定地の監視及び砂防設備の管理のため吏員を置くことが義務付けられている(同法三一条)ところ、被控訴人国の場合と同様に蔵助沢における土石流災害発生の危険性を十分認識又は予見していたから、蔵助沢の監視、調査の徹底、強化、また既存の砂防設備の機能の検証や点検、増強ないし砂防設備の新設等の措置をとるべき義務があり、これがなされていれば、本件災害の発生が防止されたか、被害を最小限に抑えられたのに、土石流の抑止、軽減については不十分な機能しかない堰堤を設置しただけで、右作為義務を懈怠した旨主張する。
2 砂防法五条及び三一条は控訴人主張のような各趣旨の規定ではあるが、前記のとおり、都道府県知事は、機関委任事務として砂防指定地の監視等同法所定の事務を遂行するのであるから、砂防法上の都道府県知事の権限行使又は不行使が国賠法一条一項の適用上、違法と評価された場合、その責任を負うのは被控訴人国であって同青森県ではない。もっとも、控訴人は、国賠法三条一項に基づき、被控訴人青森県に対し、青森県知事の給与負担者としてその責任を追及する趣旨と解する余地もあるので、検討を進める(同被控訴人が同知事の給与負担者であることは公知の事実である。)。砂防法五条及び三一条は、都道府県知事の個別国民に対する義務ではなく、国民全体に対する一般的義務を定めたものと解されるから、右各規定に定められた措置をとらないことが直ちに国賠法三条一項、一条一項の適用上、違法と評価されるものではなく、前同様、諸般の事情に照らして、右措置をとらないことが著しく不合理であると認められる場合にその不作為が違法となるものと解すべきである。しかして、前記第三、一で詳論したのと同様の理由により、砂防法の趣旨、目的、法益侵害の危険性についての予見可能性の程度、控訴人の主張する作為義務の内容等に照らすと、本件災害前、青森県知事が、控訴人主張のような作為義務を負担したものと認めることはできないから、同知事に作為義務違反の違法はない。
二 防災対策の不実施について
1 控訴人は、①「被控訴人青森県は、災対法四条一項により、住民の生命、身体及び財産を災害から保護するため、防災計画の作成と実施、関係市町村の防災事務又は業務の助成等を行う責務を有し、そのために、青森県知事は、災害を予測し、予報し又は災害に関する情報を迅速に伝達するための組織を整備、改善し、災害発生のおそれのあるときは、災害に関する情報の収集、伝達に努めなければならない(同法四六条、四七条、五〇条、五一条等)。」、②「青森県知事は、消防組織法二四条の二により、台風、水害等の非常事態の場合、市町村に対して災害防御の措置に関し指示できる。」、③「被控訴人青森県は、右①及び②の権限のほか、建設省からの通達や行政指導に基づき、土石流発生危険区域の調査、危険区域における危険雨量の決定、雨量計の設置、警報施設の整備、警報避難体制の確立、付近住民に対する土石流発生の危険性の周知徹底等をなすべき権限を有していた。」、④「青森県知事は、四一年調査の結果及び蔵助沢流域が砂防指定地に指定されたことから、昭和四二年一月末には、蔵助沢が土石流発生危険区域であることを認識し、または認識し得た。」、⑤「したがって、青森県知事は、右③の諸権限を行使すべき義務を負担し、右③の各措置を、自ら行い、または被控訴人岩木町をして行わせるべきであったが、同知事は、地域防災計画書に蔵助沢を土石流発生危険区域と記載しただけで、被控訴人岩木町に対しても土石流対策に関する指導、助言等を一切しなかった。これらの不作為は作為義務に違反する違法なものである。」旨主張する。
2 右1の①ないし③の青森県知事の権限について検討するに、控訴人は、結論として同知事は右③のような権限があったと主張するが、控訴人がその根拠として挙げる③のような通達、行政指導は授権規範となり得ないことが明白であるし、また、右②の消防組織法の規定も災害発生の危険が切迫した非常事態での緊急措置を定めたものであるから、右③のような事前の災害予防対策とは性質を異にする。しかし、災対法四六条、四七条は、地方公共団体の長は、法令又は防災計画の定めるところにより、災害を予測し、予報し、または、災害に関する情報伝達のため必要な組織を整備すべきこと等を規定しているところ、前記のとおり、土石流の予測等土石流災害対策を直接念頭に置いた法令は存在しないが、被控訴人青森県の地域防災計画は、山津波(土石流)災害予防として、警戒体制の確立を図ることを挙げ、さらに注意報、警報の降雨量基準を掲載した上、「今後の指向点」として、簡易雨量計を設置し警戒体制の確立を図ることを再度確認している。しかして、土石流発生の予測は、警戒体制の確立の第一歩であるから、青森県知事は、災対法四六条、四七条、被控訴人青森県の地域防災計画に基づき、本件災害前、簡易雨量計を設置する等して土石流を予測し、土石流災害に対する警戒体制を確立する権限(そのため必要な組織を整備する権限)を有していたと認めることができる。右③で控訴人が主張する各権限の中には以上の警戒体制の確立、そのための組織整備の権限に包含されるといえるか疑問となるものもあるが、概ね警戒体制確立の一環と解され、また、警戒体制のみ確立しても避難体制ができていなければほとんど意味をなさないであろうから、これも警戒体制の一部に含まれると解釈することも可能である。したがって、控訴人が主張する青森県知事の各権限については、結論としては、一応すべて法律上の根拠があるといえる(なお、控訴人は、右1の⑤で、青森県知事は、被控訴人岩木町をして各措置をとらせるべきであったと主張するところ、この点については、災対法四条一項にその根拠を求めることができると解する余地もある。)。しかし、いずれの場合も、青森県知事の権限行使はその裁量に委ねられているものと解されるから、前記のとおり諸般の事情に照らして、その権限の不行使が著しく不合理であると認められない限り、それが国賠法一条一項の適用上、違法と評価されることはない。
3 そこで、検討するに、控訴人主張の具体的作為義務のうち、土石流発生危険区域の調査、危険区域における危険降雨量の決定についてはその不作為をいう控訴人の主張の趣旨が理解し難い。被控訴人青森県は、四一年調査により蔵助沢を土石流発生危険区域として把握し、危険降雨量の設定もなしているから、その点では不作為はない。もっとも、右調査の信頼性には疑問があり、また、設定された危険降雨量も精度の高いものではなかったから、控訴人は、蔵助沢についてより綿密な調査を重ねていれば、土石流発生の危険性及びその予測がより正確になし得たし、危険降雨量についてもより精度の高いものを設定すべきであったと主張するものとも解される。しかし、被控訴人青森県が、蔵助沢の調査を重ねたとすれば、土石流発生の自然的因子の定性的把握がより正確で信頼性のあるものとなり、また、因子によってはある程度定量的な面も判明したものもあるかもしれないが、本件災害前の土石流研究の水準からすれば、土石流が発生する場合の各因子相互の関係が未解明であったから、精度の高い予測に結び付くような正確な危険性の判定がなし得るような成果が得られたとはにわかに考えられない。また、危険降雨量の設定についても、前記説示のとおり、当時の研究水準(統計資料の解析による経験的判断を含む。)に照らして、被控訴人青森県により高精度の危険降雨量の設定を要求するのは無理であったというべきである。その他の雨量計の設置、警報施設の整備、警戒、避難体制の確立、住民に対する危険情報の周知徹底については、前記第三、五、3、4に説示したところから明らかなとおり、青森県知事には、警戒、避難体制の確立を図るべき作為義務及び住民に対する危険情報提供義務が発生したとまでは認められない。したがって、警戒、避難体制確立の前提又はその一環となる雨量計の設置、警報施設の整備についてもこれが青森県知事の個別住民に対する義務であったとは認められないし、これらの各措置をなすことを被控訴人岩木町に指導、助言等する義務も負担するに至っていたとはいえない(ただし、前記のとおり、もはやその予定はなかったと思料される簡易雨量計の設置をいつまでも漫然と防災計画に記載していた点等は土石流自体不明な点が多いのでやむを得ない面もあるとはいえ、真面目に土石流対策を考えていたとはいえないとの非難を免れないであろうが、これは行政責任の問題にとどまる。)。
したがって、青森県知事は、防災対策不実施の違法な不行為はない。
第五被控訴人岩木町の責任
一 スキー場の設置、管理義務違反の有無について
スキー場の設置、管理義務違反の有無についての当裁判所の判断は、原判決理由説示(原判決二三四枚目表末行冒頭から同二三六枚目裏一〇行目末尾まで)と同一であるから、これを引用する(ただし、原判決二三六枚目表九行目「〇・五」の後に「ないし約一・八」を加える。)。
二 防災対策の不実施について
1 控訴人は、①「岩木町長は、災害に関する情報の収集及び伝達に努め(災対法五一条)、災害に関する予報若しくは警報を知ったときには、その事項を関係機関及び住民に伝達し(同法五六条)、災害発生のおそれのある場合、生命、身体の保護のため、避難のための立退きの勧告又は指示をなす(同法六〇条一項)権限を有している。」、②「岩木町長は、蔵助沢流域が土石流発生危険区域であり、かつ砂防指定地であることを認識し又は認識し得た。」、③「したがって、岩木町長は、住民に土石流発生の危険性について警告し、避難訓練、避難場所や避難方法についての体制を確立すべき作為義務があった。」、かつ④「岩木町長は、本件災害当日、激しい集中豪雨に鑑みて蔵助沢流域住民に対し、十分な警戒を促したり、避難について指示、助言をするべき義務があった。」、⑤「岩木町長がこれらの作為義務を履行しなかったのは違法である。」旨主張する。
2 市町村が災害対策につき第一次的責務を負うことは前記のとおりである。そして、控訴人が岩木町長の権限の根拠規定として挙げる右1の①の災対法の各規定は、いずれも災害応急対策に関する規定で、右1の④のような具体的災害が切迫したときの市町村長の権限を定めたものであるが、右1の③のような事前の災害予防、災害対策の措置についての授権規範ではない。しかし、これについては、災対法五条一項、八条二項がかような権限を定めたものと解する余地もあるので、結論として、岩木町長は、控訴人主張のような権限を有していたと解することもできる。そこで、前同様、その権限不行使が著しく不合理で違法と評価されるか否かについては以下検討する。
3 前記のとおり、控訴人主張の具体的作為義務は、事前の災害予防に関するものと本件災害の際の応急対策に関するものに大別できる。まず、前者については、確かに、岩木町長が、本件災害前に、蔵助沢流域が砂防指定地に指定されたこと及び蔵助沢が土石流発生危険区域とされたことを認識し、または容易に認識できたことは前記認定のとおりである。しかし、前記説示のとおり、砂防指定地の指定と土石流発生の危険は直ちに結びつくものではない。蔵助沢が土石流発生危険区域にされたことは、土石流発生の危険性があることを予測させる事情ではあるが、前記第三、五、3、4に詳細に説示したのと同様の理由により、本件の場合、岩木町長に控訴人主張のような住民に対する危険情報提供義務(警告義務)、土石流災害予防のための避難訓練をなすべき義務、避難場所を確保し、避難方法を定める等避難体制を確立すべき義務があったとは認められない。
次に、災害応急対策としての警戒勧告、避難の指示、助言について検討する。この場合は、これまでと異なり、予見可能性のうち、時期の予見は土石流発生条件(降雨条件)の予見ではなく、この発生条件についての予見可能性を基礎としつつ、土石流(災害)の発生が切迫していること、すなわち、やや誇張して言えば、文字通り具体的土石流の発生時刻の予見可能性が問題となる。しかし、本件の場合、岩木町長が、本件災害当日又はその前日、百沢地区の住民が安全に避難できるだけの時間的余裕をもって避難指示等をなし得たであろうこと、すなわち、その時間的余裕のある時点で本件土石流の発生を予見し得たことを認めるべき証拠はない。もっとも、控訴人が主張するように、蔵助沢が土石流発生危険区域であること(これを知らなかったという弁解が免責の理由とならないことは前述のとおりである。)及び豪雨が発生した(集中豪雨の際に土石流発生の危険があることも容易に知り得たと考える。)との二点から、岩木町長は、避難指示等をすべきであったとの見解もあり得る。しかし、前記第三、五、4において、避難経路、避難場所の問題も含め、また、政策論からも検討説示したところが、本件の問題についても妥当すると考える。したがって、岩木町長に、本件災害当日、百沢地区の住民に土石流発生の警告を発し、または避難指示等をするべき作為義務が生じたとまでは認められない。
以上のとおり、岩木町長に防災対策につき違法な作為義務違反があったとはいえないというべきである。
第六結論
以上の次第で、控訴人の被控訴人らに対する本訴請求は、いずれもその余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当で、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 武藤冬士己 裁判官 富川照雄 裁判官佐藤明は転補のため、署名、押印できない。裁判長裁判官 武藤冬士己)